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小田朋美『シャーマン狩り - Go Gunning For Shaman』 インタビュー:インタビュー / INTERVIEW

12月4日にリリースされたファースト・フル・アルバム『シャーマン狩り -Go gunning for Shaman-』を少しでも聴けば、小田朋美という新人女性アーティストが特筆すべき才能の持ち主であることは、すぐに分かるだろう。現代的なストリングスの響きやポリリズム(菊地成孔DCPRGにサポートキーボーディストとして参加)など、東京藝術大学作曲科卒業というアカデミックなバック・グラウンドが存分に発揮されている。一方で、日本語による濃厚な歌と、PerfumeやYMOというカバー曲のセレクションなどによって、ポップな歌ものにも仕上がっている。このアンビバレンスは、インタビュー中に感じた彼女の印象と一致した。聡明で力強い回答が、チャーミングでシャイな語り口から発せられるのだ。(ボーイッシュなルックスも)
ここのところ、新人女性ミュージシャンのプロデュースを立て続けに担当している菊地成孔が、このアルバムでは共同プロデューサーとして参加している。楽曲には一切タッチせず、アートワークや選曲、アルバムタイトルなどで彩りをつけたようだ。

小田朋美さんにお話を伺いました。


小田朋美『シャーマン狩り -Go gunning for Shaman-』
シャーマン狩り -Go gunning for Shaman-

■タイトル:『シャーマン狩り -Go gunning for Shaman-』
■アーティスト:小田朋美
■発売日:2013年12月4日(水)
■レーベル:Airplane label
■カタログ番号:AP1055
■価格:2,625円(税込)
■アルバム詳細:http://airplanelabel.shop-pro.jp/?pid=66565858


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小田朋美 『シャーマン狩り - Go Gunning For Shaman』 インタビュー

■音楽との出会いについて教えて下さい。

[小田朋美] 母親がピアノの先生だったので、物心つく頃からピアノを習っていて、家のグランドピアノで遊んでいるような感じでした。彼女がショパンが好きでよく弾いていたので、ショパンを聞くと懐かしい気持ちになったりします。自分自身が音楽家になりたいなと思ったのは、3~4歳ぐらいですね。職業意識というよりは、憧れです。覚えているのは、その頃にテレビを見ていたら突然死ぬのが怖くなって。。。


■3~4歳で死ぬのが怖くなったんですか?すごい(笑)。生まれたばかりじゃないですか。

[小田朋美] 5歳ぐらいの時が精神的熟成のピークなんだと思います(笑)。死ぬのが怖くなって泣いていたんですよ。それで、その頃、母親がベートーヴェンをよく弾いていたんです。子供ごころでよくわからないながらも、ベートーヴェンという人は何百年も前の人なのに、その音楽が残っていて、作曲家ってすごいなと思って、その職業に憧れが生まれました。

■ベートヴェンが好きなんですか?

[小田朋美] この人みたいな曲が作りたいなと、一番最初に思ったのがベートヴェンなんです。そんな風に思って作った曲があるんですけど、聴き返してみると、ベートヴェンみたいでは全然なくて、ポップスのような曲で(笑)。今でも好きな曲です。


■クラシックの方向からピアノを通して音楽に入っていくという感じなのですね。

[小田朋美] そうですね。もちろんポップスも聴きましたし、童謡を歌ったりもしました。でもクラシックが好きで、中でもバッハの平均律を弾くのがすごく好きです。対位法的な、右手と左手が平等というような世界が魅力的ですね。


■ポップスはどのような曲を聴いていたんですか?

[小田朋美] MISIAに中学生の頃すごくハマりました。


■やはりMISIAですか!同じくらいの年齢のミュージシャンにインタビューするとよく出てくる名前です。ものんくるの角田さんも言っていました。

[小田朋美] 一枚目のアルバム『Mother Father Brother Sister』がストリングスで始まるんです。それがとてもかっこいいんですよ。ライブとかにも行ったりしていましたね。クラシックはもちろん好きなんですけど、やらなければいけないことでもあって。それと平行して、歌うこともその頃からすごく好きだったので、ポップスも大切な存在でした。カラオケは週一回は必ず行っていました(笑)。


■作曲と歌ですね。作曲はいつぐらいから始めたんですか?

[小田朋美] 作曲技法とまではいかないんですけど、簡単な形式とかを教えてもらったので、それに従ってメロディーとハーモニーを作るのは小さい頃から好きでした。


■自分の曲を自分で歌いはじめるのはいつ頃のことですか?

[小田朋美] それが色々とありまして(笑)。カラオケで歌うのはすごく好きだったんですけど、人前で歌うよりも裏方のほうが向いていると思っていたんです。生徒会に立候補したのに選ばれなかったということに始まっているコンプレックスなんです(笑)。そういうわけで、「シンガー・ソングライターです」というようなことを表沙汰にできず、「楽器だけの曲を作ります」という感じで中学と高校を過ごしました。でも、歌うことが好きだったので高校では合唱部に所属していました。「音楽は気持ちだ」という熱い部活で、部長をやったりしながら3年間入れ込んでいました。なので、歌うことは続けていましたね。


■なるほど。小田さんにとって作曲のツボはなんですか?

[小田朋美] 今は何を聴いても良い素晴らしいと思うんですけど、ちょっと前までは何を聴いても違うと思っていました。生意気なんですけど惜しいというか、違うツボが絶対にあるぞという(笑)。


■惜しい!という感じは分かります。結局は自分のツボに対して、ということなんでしょうけど。

[小田朋美] そうなんですよね。自分のツボを探したいというのが、作曲をやりたいという気持ちなんだと思います。歌に関しては、ツボがどうこうというのは無くはないのですが、純粋に、歌いたいという気持ちですね。


■ジャズとの接点はありますか?

[小田朋美] 母親がジャズ・ピアニストになりたかったらしいんですね。大学でクラシックの教育科を出ていたりするんですけど、ジャズに憧れていて。なので家には、ジャズのレコードやスタンダードの楽譜があって、曲名とかはわからなくても聴いていたので馴染みはあります。勉強をしたことはないんですけれど、こういう風に弾いたらかっこいいかなとか、ジャズっぽいかなというような遊び感覚みたいなものが曲の中に混じっているというのはありますね。自分でジャズを聴くようになったのは最近です。


■何を聴いたりしますか?

[小田朋美] 友だちから教えてもらうのが多いんですけど、ビル・エヴァンスとかキース・ジャレットは好きですね。キースの『The Melody At Night,With You』というアルバムがとても好きで、ことあるごとに聴いています。最近の人では、グレッチェン・パーラトとかエスペランサ・スポルディングもよく聴きます。ロバート・グラスパーとかアントニオ・ロウレイロとか。


■作曲と歌については伺いましたが、作詞はいかがですか?アルバムではあまり担当されず、宮沢賢治や谷川俊太郎の詩を用いていますね。

[小田朋美] そうなんですよ。(小声で)ちょっと苦手なんですよね(笑)。というよりも、「VOICE SPACE」という詩と音楽のコラボレーションをするグループに所属していて、そこで詩人の作品に曲をつけることを既にやっていたんです。このグループで色々なアプローチを試せたことは、自分の歌にとても影響しています。メロディーがあって詩を書くという順序よりも、詩があって曲を書くという順序のほうが、(音楽が)変型したものになる確率が高いので面白いんです。歌うためにリズムがまとまっていない自由詩のようなものには結構可能性があるなと思います。


■なるほど。アルバムに収録されている曲もそういうことですか?

[小田朋美] 2曲目の「[風が吹き風が吹き]」は、宮沢賢治の詩なんですけど、実は抜粋しているんです。ある人には「宮沢賢治に失礼や。」と言われていますが(笑)。本当は詩全体がとっても好きで入れたいと思ったんですけど、結果的に朗読になっちゃうというところがあったんです。今回は、詩全体の雰囲気をインストで表現しつつ、サビでは印象的なフレーズを歌うという形にしたかったので、抜粋しています。


■いわゆる音楽の上で、節を付けて詩を朗読しているという形では全然なく、楽曲として耳に入ってきます。苦労されているポイントですか?

[小田朋美] ポップに聴かせたりするなど、音楽と朗読のコラボレーションの可能性も色々あると思うし、朗読自体も歌と同じくらい難しいものです。だけど、歌と朗読では、身体に入って来る感じはやっぱりちょっと違うと思うんです。自分で声を出す時には、今のところは歌にこだわってやっていきたいと思っています。歌の中で、詩をもっと遊べるかということをやりたいですね。


■アルバムでは、小田さんのピアノと歌に弦楽四重奏がついている編成と、ドラムとのデュオという2パターンで構成されていますが、このメンバーと編成がご自身にとってどのようなツボにはまったのか教えて下さい。

[小田朋美] 例えば、ベースがいたほうが安定はすると思うのですが、それは考えたことはないんです。どうしても、ちょっと偏った編成というのが好きなんです(笑)。弦楽四重奏はもともとすごく好きなんですね。とにかく「萌え」ですよね(笑)。さっきも話しましたけど、対位法「萌え」なんで、みんなの扱いをわりと平等に出来る弦楽四重奏の編成が好きです。ドラムに関しては、あるライブで演奏している時、ドラムと一緒に自分の曲をやると色々な遊びが出来て面白くなるということに気づいたんです。


■特にデュオだと個性的で、リズムの面白さにも耳が行きます。菊地成孔さんのDCPRGにサポートメンバーとして参加もしましたが、リズムにこだわりはありますか?

[小田朋美] ポリリズムは前から好きなんですが、効果的に実践できる場がなかなかなかったんです。デュオというのは機動力の高い編成な上に、ポリリズムに対してのリテラシーが私よりも高いドラマー、田中教順さんとやっているとアイデアがもっと膨らみますね。1曲目の「Love the world」では、どこかでリズムを伸縮させたりといったポリリズムの効果を取り入れたいというプランはありました。全体的な構成の中でそれをどのようにすると面白くなるかというようなことは、二人でやりながら作っていきましたね。他にも5曲目「鏡の中の十月」では、ちょっと脱臼したような感じにやりたいというイメージが最初にあって、それを教順さんの力を借りながら形にしたという感じです。


■アルバムの共同プロデューサーが菊地成孔さんですが、レコーディング自体には参加せずに、アートワークのディレクションやカバー曲の選曲を担当しているということらしいですね。

[小田朋美] そうですね。カバー曲に関してはいくつかピックアップしていただいて、そこから選びました。6曲目「Angelic(菊地成孔SPANK HAPPYの曲)」は曲がかっこ良いなと思ったのはもちろんですが、単純に、男の人っぽい声で「Angel, I'm only lunatic♪」と歌いたいなと思いました(笑)。あとは、曲順を決めていただいたんですけど、それがとても良かったですね。曲に対して思い入れがあったりするので、自分で決めた曲順では偏ったものになってしまうんですね。何か違うな、しっくりこないなと感じていた時に、菊地さんがこのアルバムの曲順を出してくださったんです。それがとても聴きやすくって、曲順の大切さを知りました。他のことについても、(菊地さんがプロデュースした)「ものんくる」や「けもの」を見ていて、客観的に魅力を引き出してくださる方だとわかっていたので、信用してお任せしていました。


■菊地さんのアイデアという、アルバム名がインパクト大ですね。

[小田朋美] そうですね。でももっと強烈な候補もあったので(笑)。私がボーイッシュで、男根的なものに憧れているよねという印象だそうで。。。


■(笑)。憧れているんですか?

[小田朋美] 憧れてなくはないと思いますね。というか、女の人が苦手なんですよね。自分を含めて女性的な面倒くささに向き合うのが苦手というか。男の人のほうがよっぽどサッパリしているなと。


■でも男はバカですよ。

[小田朋美] そうですね(笑)。私のプロフィールに「幼少期にピエロと大学教授を志すも、、、」と書いてあるんですけど、そういう感じなんですよ。女の人は滑稽になりえないというか、どんなにおかしなことをやっても滑稽になりきれないところがどこかにあると思うんですね。滑稽になれる男の人はいいなと、滑稽になりきって死にてぇと思って。なんかそこら辺が男根願望みたいなことに繋がるんではないかと思います(笑)。


■(笑)。それでアルバム・タイトルなんですけど。。。

[小田朋美] そうそう、それで候補にそういう感じのものもあったんですが、親戚に配れないと思ったんで、『シャーマン狩り』に決まりました(笑)。

[ベーアー(レーベル担当者)] 販売物なんで、売る側としてはそれはちょっと勘弁していただきたい(笑)。初耳ですけどね、このやりとりは(笑)。

[一同] 爆笑


■カッコ良いタイトルに決まったと思います。では最後に、夢や目標などあれば教えて下さい。

[小田朋美] 今は、自分の体を血肉湧き踊らせるものを改めて探している時期なんです。熱中して面白いと思ってフォーカスできるものが少しずつ見えて来ているんですけど、それを明確にして形にしたいですね。そうすることでしかその先を想像できないというか。あとは、死ぬまで音楽を続けていたいです。さっきもお話しした自分のツボとか、何か違うと思う違和感とかも含めて、自分と何かの交差点を探し続けて行きたいと思います。



[Interview:樋口亨]




小田朋美
小田朋美

オフィシャルサイト:http://odade.gozaru.jp/

1986年9月9日神奈川県生まれ。
幼少期にピエロと大学教授を志すも音楽の道へ。
国立音楽大学付属高等学校作曲家から東京芸術大学音楽部作曲科へと進み2012年3月に卒業。
詩と音楽のコラボレーション集団「VOICE SPACE」コンポーザー。
日本各地で谷川俊太郎、谷川賢作、小室等、佐々木幹郎各氏と共演。
2011年東京芸術大学芸術祭にて矢野顕子と自作曲&即興で共演。 2012年4月より、
日本各地で行われる津軽三味線の名手・二代目高橋竹山の演奏会にピアノで出演中。
2013年秋、菊地成孔率いるDCPRGツアーにサポートキーボーディストとして参加予定。
様々なイベントへの楽曲提供や、ラジオ番組等へのアレンジ提供、アーティストのサポート演奏、自主ライブ活動を積極的に行いつつ、日本語と音楽のコラボレーションの可能性を追究している。


ライブ情報
1月12日(日) 15:00@タワーレコード渋谷店 7Fクラシックフロア
小田朋美、田中教順デュオ

1月16日(木)@座・高円寺
VOICE SPACE(小田朋美参加)
http://roppei.jp/

1月29日(水)@大泉学園 in F
小田朋美、田中教順デュオ

橋爪亮督&市野元彦インタビュー"橋爪亮督グループ『Visible / Invisible』":インタビュー / INTERVIEW

昨年のベストアルバムの一つとしてJJazz.Netでも取り上げた『橋爪亮督グループ / Acoustic Fluid』。そのタイトル通り、変幻自在の響きが美しく、衝撃的な作品でした。
メンバーは、橋爪亮督(テナーサックス)、市野元彦(ギター)、佐藤浩一(ピアノ)、織原良次(フレットレスベース)、橋本学(ドラム)。レコーディング後に、この5人で行ったツアーの様子を収めたライブアルバム『Visible / Invisible』が11月6日に発表されました。

いわばライブバージョンの『Acoustic Fluid』といえる今回の作品。響きが特徴のこのグループのサウンドが、作りこまれたスタジオから生々しいライブ会場へと移った時にどのような姿を見せるのか?彼らが追求するサウンドへの道のりと行く末は?

バークリー音楽学院で出会い、このグループのサウンドの核となっている二人、リーダーの橋爪亮督さんとギターの市野元彦さんにお話を伺いました。


橋爪亮督グループ『Visible / Invisible』
Visible / Invisible

■タイトル:『Visible / Invisible』
■アーティスト:橋爪亮督グループ
■発売日:2013年11月6日(水)
■レーベル:Apollo Sounds
■カタログ番号:APLS1304
■価格:2,625円(税込)
■アルバム詳細:http://apollosounds.tumblr.com/post/62219438775/visible-invisible-11-6


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橋爪亮督&市野元彦インタビュー

■音楽との出会いについて教えて下さい。

[橋爪亮督] サックスを吹き始めたのは、高校でブラスバンドに入ってアルト・サックスを担当してからです。始めてからは楽しくて、朝から晩まで時間のある限り吹いていましたね。同時に、FMのエアチェックもよくやっていました。フュージョン/クロスオーバーのインストとか。ブラバンとは別にバンドを組んで、そういう音楽をやっていました。最初は渡辺貞夫さんとかスクェアの伊東たけしさんとかをコピーしていたんですが、次第に、彼らが影響を受けた人たち、デビッド・サンボーンとかマーカス・ミラーの曲を演奏するようになりました。高校から大学にかけてです。


■大学を休学してバークリー音楽大学に行くんですよね。

[橋爪亮督] 日本であったバークリーのサマーセミナーに参加したのがきっかけです。奨学金を貰えたので、まだ二十歳ですから後先のことは全然考えずに行きました。


■市野さんの音楽との出会いは?

[市野元彦] 姉が聴いていたビートルズとかTOTOとかですね。それが中学1年生の頃です。高校生になって初めてエレキギターを買ってコピーバンドを始めました。フリーとかポリスとか。バラバラな感じですけど。(笑)その後、大学に入って2年間くらい完全にギターを弾くのをやめちゃってたんですけど、たまたまストリートミュージシャンがギターとサックスでジャズを演奏しているのを聴いて、パーンと気持ちに入ってきたんです。それまでジャズというと、でっかいベースとラッパというイメージがあったんですけど、ギターにもこういうのがあるんだということを知りました。それからレコードを探し始めて、それに合わせていわゆるジャズ的なギターを弾くようになりましたね。バークリーに行くのはその後です。


■バークリーではお二人は会ったことがあるんですか?

[市野元彦] 会ってはいます。でも入れ替わりでほぼ半年くらいだけでした。


■バークリーでの時間はご自身にとってどういうものでしたか?

[橋爪亮督] 演奏科から作曲科に学科を変えたということもあって、アメリカには7年間くらいいました。バークリーに対しての最初の印象は、「えらいところに来ちゃったな」ですね。学生でも演奏のレベルはすごかったですし、バックグラウンドが違うなと感じました。一所懸命練習したんですけど、耳が肥えていくばかりでなかなかうまくならなかったので精神的にもきつかったです。日本から来たただのコピーキャットが行き詰まったという感じですね。音楽をやめようと思ったほど悩んでいました。好きな音楽のルーツを辿って行くと、すごく濃いところに行き着いて、いくら好きでも同じ様には絶対になれないと身をもって感じました。そうなると、今までやってきたものが崩れて、楽器に触れなくなっちゃったんです。それでしばらく音楽から離れた時間があった後に、自分で曲を作って好きな様にやってみて、「よくない」とか「何それ?」とか言われたらその時にやめようと思えるようになったんです。それが作曲科に変更した理由ですね。それまでは学校が脅威だったけど、自分がやりたいことがあれば、学ぶことはたくさんあるところだなということが見えてきました。好きな風に作曲して好きな風にやればいいのかな、そう考えたら勉強したいことがたくさん出てきて印象が変わりましたね。楽器もアルトからテナーに変えたので、初心者気分に戻れて気持ちがスッキリしました。とりあえずの目標として、全部自分の曲で、自分の好きなメンバーを集めて演奏するリサイタルをやると決めたんです。


■再スタートをきったんですね。そのリサイタルは開催出来たんですか?

[橋爪亮督] テナーを吹けるようにならなきゃいけなかったし、曲も作らなければいけなかったので、1年か2年かかったんですけどやりました。それはもうドキドキでしたよ。

[市野元彦] お客さんのほぼ全員が世界中から集まったミュージシャンと有名な先生だったりというあの特殊な経験は、音楽学校ならではですよね。


■かなりの緊張感ですね。

[橋爪亮督] でももう開き直っていたましたから。自分は日本人で、アメリカにジャズを勉強しに来ているという時点で雑種だし無茶苦茶だからしょうがないと。雑種に徹しようと思って。自分がいいと思ったことを一所懸命やると、自ずとなにか違うんじゃないかと信じました。結果的に、「お前の曲は興味深い」だとか「エキゾチックだ」だとかというコメントをもらえてホッとしましたね。その繰り返しです。


■市野さんはいかがでしたか?

[市野元彦] 僕も演奏科に入りました。理論的なことは頭の中がすごく整理されてよかったですね。演奏については、バークリーで生まれて初めて人から習ったので新鮮でした。そんなに若い頃に入学したわけではないので、自分の中である程度価値観が出来上がっていて取り入れたいものの取捨選択ができる状態だったのはよかったです。あとは、生徒が世界中から集まっているので人数も多く、雑多で良かったですね。自分で作ったオリジナルの楽器しかできないという人とか個性的なのが多くて面白かった(笑)。なので、習った事自体よりも環境が素晴らしかったですね。


■そういう個性的な人たちを学校もよく受け入れていますね!

[市野元彦] それがアメリカの良い所ですね。日本ではあまりなかった価値観を体験できたというのは貴重でした。


■橋爪さんのように苦労されたことはないですか?

[市野元彦] 入学したのが27歳くらいだったし、自分は物事を吸収するのが遅いと感じていたので最初から自分よりすごい人は世の中にたくさんいるということはわかっていました。なので、ショックとかはなかったですね。それでも、想像していた以上にすごいレベルの人たちはいましたけどね。(笑)


■バークリーでの経験は、現在のお二人にとって大きな影響のようですね。

[橋爪亮督] 環境はほんとうに貴重でしたね。それぞれが自分のアイデンティティを主張しているわけですよ。そういう中にいると、やりたいことをやればいいんだという風になりますね。でも僕は若かったから最初は相当ショックでした。


■日本で再会したのはどういう経緯ですか?

[市野元彦] 僕が後から帰国するわけですが、帰国後に東京のジャズシーンをチェックしていた時に、橋爪亮督グループがピットインに出演するのを見つけたんですよ。彼とはアメリカで知り合ったので「橋爪亮督グループ」という漢字を見ても最初はピンとこなかったんですけど(笑)、「Ryo Hashizume」だと気づいて。それで見に行ったんですよ、ピットイン昼の部に。

[橋爪亮督] そうだ!思い出した。演ってたらそこにいて。(笑)そんでもうすぐに、「次からよろしく」っていう感じで。

[市野元彦] そうだそうだ!アメリカではちょっとセッションやったぐらいだったけど。


■バンドはその頃から今みたいな浮遊感のあるサウンドを鳴らしていたんですか?

[市野元彦] 基本的には同じと言っていい感じですね。ちょうどマーク・ターナーやカート・ローゼンウィンケルとか同世代の人たちががああいう音楽を作りだした過渡期にアメリカにいたので、同時進行的に感じていた感覚で帰国後に演奏していたら、ニューヨークぶっているのか、というような冷たい扱いは受けましたけど。(笑)

[橋爪亮督] まず、全曲オリジナルでライブをやるということ自体珍しいという状況だったので、曲調とか以前に、そこで肩身の狭い思いはしていましたね。特別なことをやっている気持ちはなかったし、プレイヤーとしては自分の音楽を自分でプレゼンテーションするものだと思っていたので。誰かのやっていることを真似してやるのが全く意味が無いっていうようなことをアメリカで散々考えてきたわけだから、音楽を続けるのであれば、自分の音楽を作っていくもんだっていうね。帰国してからは、何があっても自分の音楽をやるバンドはキープしようと思っていました。


■「あまり吹かない」・「あまり弾かない」というのが、僕の中ではお二人の演奏の共通点です。テーマをやった後にソロを競うというスタイルじゃないという。

[市野元彦] 個人的には、ソロで主張するというのではなく、全体の中でどういう音や色彩がどういう塩梅で出ているかなと考えながら、いい感じな言い方になっちゃうけどペインター的に演奏します。そういうところがいわゆるマッチョなジャズ的ではないのかもしれないですね。


■メンバー全員で音風景をつくり上げるバンドですね。

[市野元彦] リーダーの求めるツボがわかってきているし、それに対して自分たちの個性を崩さずに何かを提供できる状況になっていますね。このバンドのサウンドの鳴らせ方がわかってきているという感じですね。

[橋爪亮督] 捉え方が似ているメンバーだと思います。僕も特別にリーダーというわけではなく、1/5という気持ちです。「空間」という言葉をキーワードとして僕はよく使うんですけど、全体でその場にフィットするというような音楽の作り方をしたくて。質感であったり、その場にいて幸せだと思う感覚に個人的には感動します。そういうのを表現したくて。僕がこのバンドにあえて出した指示として覚えているのは「ピットインの一番後ろのところでピシっと整う感じの音にしてね」とかですね。テクスチャーとかトーンとか、プリミティブなところを追求したいと思っています。極端な話、それらが良ければ曲は何を演ってもいいと思うんです。凄くシンプルなことを目指しているだけな気がしています。


■今回のライブ作品『Visible / Invisble』からも、音風景を愛でるというような、どこか日本的な感覚を得ました。

[市野元彦] 空間の扱いかたですね。

[橋爪亮督] 基本的に日本人なので、ちょんまげつけて着物を着て演奏しなくてもにじみ出て来るものだと思っています。


■ロングトーンと休符が印象に残ります。

[橋爪亮督] ホーンプレイヤーはロングトーンが強みだと思います。ロングトーンには空間の支配力があるので多用しますね。テクスチャーを一定にすることができるというか。それと休符を効果的に使うと、リスナー自身のイマジネーションにも参加してもらえて、よりリッチに聴いてもらえる事ができると思います。全部を演奏しないで、これとこれという風に音を選ぶ感覚は、市野さんがすごく秀でていますね。最小限の音を使ってよりリッチにという感覚を尊敬しています。市野さん自身がどう思っているか知らないですけど。(笑)

[市野元彦] (笑)。「休符を演奏しなさい」というのは学校でよく言われましたね。弾くのをやめているというだけではなくて、そこをコントロールするのが理想だと。


■今回のライブアルバム『Visible / Invisible』のタイトルについて教えて下さい。

[橋爪亮督] アルバムタイトルをつけるのには毎回苦労をします(笑)。「見えるもの / 見えざるもの」を表現したいなというテーマから来ています。ひねり出しました(笑)。


■今作は、前作のスタジオ・レコーディング作品『Acoustic Fluid』のライブ盤と言えると思いますが、ライブの面白さは何ですか?

[橋爪亮督] このバンドは、ライブだと放し飼いなところじゃないですかね。(笑)スタジオだと尺とか色々と制限があるので、ある意味で予定調和なところがあるんですが、ライブだとあまり決め事をしないので。逆に決め事をぶち壊すところが楽しいというような側面があります。ライブだと意外なメンバーが壊れたりして面白いです。ピアノの(佐藤)浩一くんとか。(笑)

[市野元彦] やっても怒られないのをいいことに。(笑)

[橋爪亮督] なので、今回の作品には変なところも入っているんですけど、ライブならではということで残しています。


■最後に、夢や目標などあれば教えて下さい。

[橋爪亮督] 具体的なところで言えば、海外のジャズフェスのような、皆んなが集まれるイベントに出たいですね。いろいろな人に聞いてもらいたいです。それで、日本人が演奏しているということで、何かしらの価値を見出してもらえれば嬉しいですね。

[市野元彦] 欧米じゃなくてもよくて、違った間合いの人達の前で、僕達の間合いを聴いてもらいたいですね。



[Interview:樋口亨]




橋爪亮督
橋爪亮督

オフィシャルサイト:http://www.ryohashizume.com/

1970年生まれ。

岡山大学在学中20歳の時にボストン・バークリー音楽大学から奨学金を受け渡米。1996年同校Jazz作曲科卒業。
同年初のリーダー作となる「And Then You Heard Tales(HAO Record 428)」をアメリカ国内でリリース。 
翌年2枚目のリーダー作「In A Stranger's Hand(HAO Record 429)」をリリース。 

1997年帰国。
2006年 POLYSTAR JAZZ LIBRARYより国内初となるリーダー作「WORDLESS」(P.J.L. MTCJ-3031) をリリース。

2008年 BounDEE JAZZ LIBRARY より国内2作目となる「AS WE BREATHE」(B.J.L. DDCJ-7004) をリリース。
2009年 Grapes Record より国内初のライブ録音となる「Needful Things」(GPS1206) をリリース。

2012年 tactilesound records より「ACOUSTIC FLUID」(TS-001)リリース。
現在は全曲オリジナルによる自身のグループを中心に新宿ピットインを始め首都圏ライブハウス等で活動中。

けもの 『LE KEMONO INTOXIQUE』 インタビュー:インタビュー / INTERVIEW

2011年に発表されたファースト・ミニアルバム「けもののうた」が、その圧倒的な存在感の歌声を聴いた早耳の間で「この和製ニーナ・シモンのようなシンガーは誰だ!?」と話題となったけもの。その正体は、ジャズ・ボーカリストとしてキャリアを始めた青羊(あめ)という、けものという名前に似つかわない、一人の女性シンガーによるプロジェクトです。ジャズのフィールドで活躍するミュージシャンをメンバーに迎え、彼女が作詞作曲したオリジナル曲を中心に据えて活動しています。
確かな演奏と日本語の歌詞で表現される不思議な世界観でジャズ発の新しい可能性を感じさせるけものが、9月18日にファースト・フル・アルバム『LE KEMONO ITOXIQUE(ル・ケモノ・アントクシーク)』をリリースしました。
プロデューサーは、鬼才、菊地成孔。この作品では、サックス、ボーカル、作詞、トラックメイキング、スタイリングやアートワーク(写真撮影も!)にと多岐に渡ってプロデュース・ワークを展開し、けものの魅力に新たな光を当てることに成功しています。
ミニアルバムと比較すると、ビジュアルとサウンドの両面でかなりの変化が見える新作。これからお届けするインタビューでは、その変化の種はもともと青羊さんの中にもあり、それを菊地氏が素敵に咲かせた、というコラボレーションの結実が見えてきます。

青羊さんにお話を伺いました。


けもの『LE KEMONO INTOXIQUE(ル・ケモノ・アントクシーク)』
LE KEMONO INTOXIQUE

■タイトル:『LE KEMONO INTOXIQUE』
■アーティスト:けもの
■発売日:2013年9月18日(水)
■レーベル:Airplane label
■カタログ番号:AP1051
■価格:2,625円(税込)
■アルバム詳細:http://airplanelabel.shop-pro.jp/?pid=62394057


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けもの 『LE KEMONO INTOXIQUE』 インタビュー

■子供の頃から音楽は好きだったのですか?

[青羊] 小学校の頃にピアノは習っていましたけど、母親が仕事をしていたので、託児所にピアノの先生が教えに来ていたので、ついでに、という感じです。綺麗で怖い先生だったんですけど、練習をあまりしていなかったので怒られて嫌でしたね。


■それでピアノ自体が嫌いになるというパターンですか?

[青羊] そうですね。


■その後は?

[青羊] 小学校の時に鼓笛隊入ってトランペットを吹いていました。


■なんでまた鼓笛隊に入ったんですか?

[青羊] 全く覚えていないんです。


■音楽はその当時から好きだったんですか?

[青羊] 歌うことは好きでした。何を歌っていたかは具体的には覚えていないんですが、学校の授業で与えられた曲です。


■プロフィールによると、中学から短大まではずっと吹奏楽部でホルンを吹いていたんですね。鼓笛隊に入っていた流れでですか?

[青羊] それもあるんですが、運動ができないので(苦笑)。すごい好きで吹奏楽部に入った感じでもなかったんです。


■なるほど。そういったいわゆる部活のような活動以外に、私生活で聴いていた音楽はありますか?

[青羊] ビートルズとかスザンヌ・ヴェガとか母親が聴いていた音楽をなんとなく聴いていました。他にはユーミンも好きでした。小学生の頃に「魔女の宅急便」の主題歌になっていて、そこからすごい好きになりました。音楽をガッツリ聴いていたという感じではなかった気がします。あとは、ホルンが好きだったからクラシックは聴いたりしていましたね。


■クラシックはどのようなクラシックですか?

[青羊] そんなに詳しいわけではないんですけど、吹奏楽部だったんでオーケストラですね。ストラヴィンスキーの「春の祭典」とか好きでした。


■ここまで伺った音楽歴だと、けもののサウンドはあまり想像できないですね。バンドブームは通過していない感じですか?

[青羊] あ、思い出した!オザケン(小沢健二)とかオリジナル・ラブとかUAを聴いていました。


■渋谷系が好きという感じは、そこはかとなくわかります。

[青羊] 高校の頃の記憶がほとんどないので(苦笑)、今思い出してきました!


■それでまたプロフィールによると、大学まで吹奏楽部で活動した後に、「ジャズボーカルのレッスンを受ける」とありますが、ジャズもボーカルも気配がなかったわけですが、この間に何が起こったんですか?(笑)

[青羊] ホルンは、口の形を直していた段階で、これ以上うまくならないなと思ったのでやめようと思って。それで、なんかライブハウスで働きたくなって。


■あ、ライブハウスには行ったりしていたんですか?

[青羊] いえ、あんまり。でも、ホルンをやっていた時もジャズを習ってみようとしたことはあったんですよ。


■なんでジャズをやってみたいと思ったんですか?

[青羊] UAが好きだったのと、「紅の豚」で登場人物のジーナが歌うシーンがあって、あれはシャンソンなんですけど、ああいう感じに憧れたっていう。ジーナに憧れてジャズ、という人が他にもいたんで、意外とそういう人は多いかもしれませんね。


■ジブリ映画が青羊さんに影響を与えている気がするのですが(笑)。

[青羊] ホントだ(笑)。この間、菊地成孔さんのラジオ番組に出演した時もジブリの話題になりました(笑)。


■ジャズとのリンクはわかりましたが、歌はなんでまた?

[青羊] とあるライブハウスで働きたかったんですけど、「働きたい」って言えなくて「歌を習ってみようかな」って言ったら習うことになって(笑)。


■(笑)あ、働きたいお店が決まっていたんですね。ということは、そこはボーカルレッスンもやっていたんですね。

[青羊] 代々木「ナル」のオーナーに、男性ジャズボーカリストを紹介して頂いて、レッスンを受けました。


■そうなんだ!早く言ってよ(笑)。ライブハウスって言うんでロックとかそっち系のだと思っていました。ジャズボーカルは習ってみてどうでしたか?

[青羊] 2年ぐらい習ってからライブにも出るようになったんですけど、あんまり向いてないかなと思いました。UAとかが好きということもあって、歌詞が日本語でない所に違和感を感じたりしていました。オリジナルをやりたいけど曲は作れないという葛藤があるまま、歌の方向性がわからなくなってしまって一旦活動を休みました。


■なるほど。でも約2年後あたりに活動を再開するわけですよね?

[青羊] ジャズをやっていた時に目をかけていてくれていたベーシストの奥さんが、ウクレレでオリジナル曲をやっているのを見て触発されたし、「なんで自分はできなかったんだろう」って悔しくなって始めました。


■踏み出すきっかけをもらったんですね。作曲はどのように進めているんですか?

[青羊] とりあえず何かが降ってきてからですね。例えば、言葉とメロディーが降りてきたら肉付けして、ある程度形になったら譜面に起こすという感じです。


■オリジナルでやり始めた最初から「けもの」としてやっているんですか?

[青羊] いえ。途中で「けもの」をやりたくなったきっかけがあるんです。吉祥寺の「サムタイム」でライブを見ていた時に突然メロディーと歌詞が頭のなかに流れてきたんですね。歌詞に「けもの」という言葉が出てくる「けものZ」(1stミニアルバムに収録)という曲だったんですけど、その曲ができた時に「けもの」というバンドをやってみたいと思ったんです。それと、今までジャズのセッションが多かったので、カチッとしたバンドに対する憧れもありました。他には、今の忙しい世の中、例えば満員電車なんかではある程度感覚をシャットダウンして我慢していないとやっていけないと思うんですね。私はそういうのがおかしいなと思っていて。皆んなが本来持っている感覚を開かせたいというか開いたほうがいいんじゃないかなという気持ちと「けもの」という言葉がちょうどクロスしました。


■なるほど。「けもの」というのは野性的というか本能、というような意味合いがあるんですね。

[レーベル担当者A氏」「本能を形にすること」と言って菊地(成孔)さんに「わけわかんない(笑)。」ってラジオに出演した時に言われてましたけどね(笑)。


■青羊さんご本人は、感覚全開なのですか?

[青羊] 自分も含めて、感覚を開く機会があった方がいいかなと思います。まずは自分です。


■歌うことは自分にとってどういう感覚ですか?

[青羊] エゴです。自分勝手なんです。私は、皆んなのために歌おうという気持ちは一切ないです。エゴを出して受け入れてくれる人がいれば、ありがとう、という感じです。


■歌う時に自分が大切にしていることってありますか?

[青羊] 一線を越えて、どこかに行くことは目指しています。ただ狙ったからといって、そうできるものでもないし、考えすぎてもダメなんで。曲をイメージするっていうことですかね。


■「青羊」という名前の由来を伺っていいですか?

[青羊] なんていう名前にするかは迷ったんですけど、羊が好きっていうのもあるし、未年でもある。あとは、村上春樹「羊をめぐる冒険」に背中に青い星がある羊が出てくるんですね、そこから来ています。


■「あめ」っていう読み方については?

[青羊] あて字です。「咩」で「め」と読むんですけど、そのままじゃあ何なんで、村上春樹さんも好きなんで、「青」と「羊」で「あめ」と。


■なるほど。では、アルバムについて聞かせてください。菊地さんがプロデュースですが、青羊さんから事前にリクエストしたことはあるんですか?

[青羊] テキスト・リーディングをやりたいです、というのはお話しました。私にとって、歌というのはしゃべることの延長線上にあるんですね。あまり変わりないというか。でも実際は、テキスト・リーディングをそれほどやったことがなかったんでやりたかったんです。あとは、ライブで朗読をやった時に、脳が快感を覚えちゃいまして、それ以来、声を使ったお仕事もしてみたいと思うようになりました。


■菊地さん作の9曲目「魚になるまで」がテキスト・リーディングですね。

[青羊] 「魚がテーマのアルバムをやりたいです」みたいなことを私が最初にお伝えして。でも「"けもの"で"魚"だと聴く人が困惑するのでは?」(笑)ということになって。そのことがあったからかどうかはわからないですけど、「魚になるまで」というタイトルです。


■前作と比較すると、サウンド的には大雑把に言っちゃうと、世田谷・武蔵野あたりから渋谷の文化村あたりに引っ越ししたような感覚があるんですけど、このテイストというのはもともと青羊さんにあったんですか?

[青羊] ありましたね、はい。


■そっか、渋谷系とかも聴いていたんですもんね。なるほど。特にエレピ(エレクトリック・ピアノ)のサウンドですごくそういう印象を受けました。

[青羊] 菊地さんの提案でエレピを多用しました。


■他に前作と違うところでは、オリジナルに加えてジャズ・スタンダードも収録していますね。

[青羊] ライブでよく演奏している曲です。


■録音メンバーはライブでも一緒に演奏している面々ですか?

[青羊] そうですね。皆んな大好きです。他のメンバー同士も共演していたりして繋がっているんです。


■では最後に、夢や目標があれば教えて下さい。

[青羊] 目標というわけではないですけど、仕事もやめたんで音楽で生活していきたいです。それと、今回のアルバムを広く聴いていただきたいです。



[Interview:樋口亨]




けものアルバム『LE KEMONO INTOXIQUE』発売記念ライブ

<日時>
9月30日(月)
開場18:30 開演20:00

<会場>
青山CAY(スパイラルB1F)

<出演>
青羊:ヴォーカル
石田衛:ピアノ
織原良次:フレットレスベース
トオイダイスケ:ベース
石若駿:ドラム

スペシャルゲスト:菊地成孔

<詳細>
https://www.spiral.co.jp/e_schedule/detail_754.html




けもの バイオグラフィー
2010年 青羊(あめ)のソロユニットとして活動開始
2011年 1stミニアルバム「けもののうた」をリリース
2013年 1stフルアルバム「LE KEMONO INTOXIQUE(ル・ケモノ・アントクシーク)」をリリース
けもの研究所http://kemono.pupu.jp/
けものTwitter:https://twitter.com/kemonoz

青羊(あめ)
青羊
岩手県釜石市生まれ。
中学から短大までは吹奏楽部でホルンを吹くが、ホルンをやめた後、ジャズヴォーカルのレッスンを受ける。
2004年 ジャズヴォーカリストとして都内でライブを行うようになるが、2006 年に活動を休止。
2008年 活動を再開、オリジナル曲の作詞作曲をするようになる。
2010年5月 音楽家としてのソロユニットでありアート・アクティビティでもある <けもの>を始動。(活動目的は「本能をカタチにすること」)。
2010年10月 東芝EMI 主催のオーディション「EMI REVOLUTION ROCK」に<けもの>としてエントリー。3000組の中から最終選考 5組に残り、鈴木慶一、宇川直宏等に高評を受ける。
2011年5月25日 初のミニアルバム「けもののうた」を発売。
2013年9月18日 菊地成孔のプロデュースで1st フルアルバム『LE KEMONO INTOXIQUE( ル・ケモノ・アントクシーク)』をAIRPLANE RABELから発売。

スリー・ブラインド・マイス 復刻

沸騰していた1970年代の日本のジャズ。その頃スタートしたthree blind mice(スリー・ブラインド・マイス)という日本のジャズ専門インディー・レーベルの存在は、今も語り継がれ、そのリリース・タイトルは長く楽しまれています。峰厚介や福村博、土岐英史といった、当時はまだあまり知られていなかった新進気鋭の若手ミュージシャンを積極的に取り上げて、デビュー作、リーダー作を発表させるそのスタイルは、前例がないものでした。1983年に幕を下ろすまでの間にリリースしたタイトル数は約150。前述したとおり、若手・新人の他に、ベテランや地方のミュージシャン、シンガーの作品、そしてなんと、予算のかかるビッグバンド作品までリリースしているという怪物レーベルです。

長い間、廃盤状態が続いていたので、CDでthree blind miceの作品を聴くのは難しい状況でしたが、この度、6月から12月にかけて毎月6、7タイトルずつTHINK! RECORDSより再発されることになりました。番組「PICK UP」で毎月ご紹介しているのでご存じの方も多いでしょう。毎月ご紹介するほど大切で、ぜひ一度はそのタイトルの幾つかを聴いていただきたいレーベルなのです。モダンジャズの必聴盤としてはもちろん、ジャズDJのプレイリストでも頻繁に目にするタイトルがいっぱいあります。

今回の再発企画の中心人物、ディスクユニオン / THINK!レコードの塙耕記さんと、高円寺にあるレコード店「universounds」の主宰者でDJでもある尾川雄介さんに、three blind miceについてあれやこれやとお話を伺いました。彼らは、発表以来話題となったジャズ本『和ジャズディスクガイド 1950s - 1980s』の著者でもあります。

ジャズ愛、音楽愛がひしひしと伝わる彼らの話しぶりは、とても熱い!


尾川雄介(universounds)×塙耕記(disk union / THINK!) インタビュー
~スリー・ブラインド・マイス復刻に寄せて~

■今回のスリー・ブラインド・マイスCD再発に至った経緯を教えて下さい。

[塙耕記] 2009年8月に『和ジャズディスクガイド 1950s - 1980s』という本を尾川さんと一緒に出しているんですけども、その前、2005年くらいから、日本のジャズをCD化するという作業をずっと続けていまして、かなりのライブラリーになっています。その中でもTBM(スリー・ブラインド・マイス)というのは手をつけていなかったレーベルなんですね。2006年にソニーさんが一度、20タイトルぐらい紙ジャケで再発していますし、TBMってオリ ジナル盤に拘らなければ意外とレコードは手に入りやすくて結構音は聴ける環境にあったんですよ。なので、私達が関わって再発することはないかなと思っていました。ところが、廃盤になっているそのソニーさんの再発CDも中古市場で高い値段が付いている状況でして、それだけ需要があるのであればお役に立てるかなということで、今回の再発を練ってみました。


『和ジャズディスクガイド 1950s - 1980s』
和ジャズディスクガイド 1950s - 1980s


■どういう方が買われているのでしょうか?

[塙耕記] 尾川さんにもご協力いただいて48タイトルをピックアップしたのですが、今回の再発シリーズを聴いていただきたいなと想定したメイン世代は30-40代なんですね。というのは、団塊世代の方は当時聴いていたり持っていたりして既にご存知の方が多いだろうと考えたのと、レコードではなくCDを買うのは30-40代の方が多いので、基本となるタイトルはもちろん入れつつも、そこにターゲットを絞ったセレクトを実際にしています。ですが蓋を開けてみると、団塊世代のお客様、ディスクユニオンに普段からいらっしゃるお客様のニーズにもど真ん中だったようで、正直言って予想を超えた反響でした。6月と7月に再発したタイトルで言うと『鈴木勲 / ブルー・シティ』『ヤマ&ジローズ・ウェイヴ / ガール・トーク』というド定番が特によく売れています。『鈴木勲 / ブルー・シティ』は2006年のソニーさんの時に再発されているので、今回は外していいかなと考えていたんですが予想を超えて需要があるようです。ある方から言われて初めて認識したのですが、『和ジャズディスクガイド 1950s - 1980s』が出て以降、そのあたりの需要がだいぶ変化しているようですね。2006年のソニーさんの再発の時にはこの本がまだ出ていなかったので、それ以降の状況は変わっているようです。


『鈴木勲 / ブルー・シティ』
鈴木勲 / ブルー・シティ


『ヤマ&ジローズ・ウェイヴ / ガール・トーク』
ヤマ&ジローズ・ウェイヴ / ガール・トーク


■タイトルを選ぶにあたって、塙さんと尾川さんの好みが違うところもあると思いますが、その辺はいかがですか?

[尾川雄介] 塙さんはモダンジャズからのアプローチとしての日本人ジャズ。僕はレアグルーヴ、DJ文化からのアプローチとしての日本人ジャズ。その両サイドからみた日本人ジャズに「和ジャズ」があった、という感じです。


■JJazz.Netにもその両サイドからの方が集まっています。

[尾川雄介] 『和ジャズディスクガイド 1950s - 1980s』が出てから、モダンジャズ視点から和ジャズに興味を持った方がそこにレアグルーブ的価値があることがわかって興味を持ち始め、逆にレアグルーブ視点で和ジャズに興味を持った方がモダンジャズ的価値に興味を持ち始めたという面白い現象が起こっています。


■素晴らしいことですね。別の視点から評価されているものに興味を持って受け入れていく。

[尾川雄介] 「和ジャズ」という土台が固まってきたという印象はありますね。


■そういう状況のもとでのTBM再発なんですね。

[塙耕記&尾川雄介] ありがたいことに、そういうことです。


■TBMというレーベルを知らない人たちに向けてお知らせすると、どういう説明になりますか?

[尾川雄介] 設立が1970年です。絶対的なことは、ジャズ専門レーベルだということですね。日本でジャズ専門レーベルって大手レーベルの傘下にはあるのですが、独立系レーベルでここまで多くのタイトル(約150タイトル)を発表しているのはスリー・ブラインド・マイスだけですね。もう圧倒的です。

[塙耕記] 音楽的なポリシーで一番近いのは、ビクターの「日本のジャズシリーズ」ですね。1968から1969年にスタートしているんですけども、オリジナリティのある若手を起用した、そしてアーティスト主導でオリジナル曲をたくさん収録したというのが似ている点ですね。

[尾川雄介] 若手にアルバムを作る機会を与えるというのは、当時ではすごく珍しかったでしょうね。さっき言いましたように、基本的にレーベルは大手なのであまり冒険はしないですよね。

[塙耕記] だいたいレーベルの始まりが、新人のデビュー・アルバムですからね!


■皆さんご存知、テナーサックスの峰厚介さんのデビュー・アルバム『峰厚介 / ミネ』がTBMの1番です。

[塙耕記] ありえないじゃないですか!?

[尾川雄介] ありえないですね。

[塙耕記] 3番は『植松孝夫 / デビュー』ですからね。

[尾川雄介] その名の通り、植松さんのデビューですからね。

[塙耕記] ありえないですよ!他で実績を出している若手を起用するとかなら分かるんですけど、デビュー作品ですからね。これでもう、TBMの凄さがわかると思うんですよ。

[尾川雄介] スリー・ブラインド・マイスって、ここでデビューしたミュージシャンが多くて、峰さん、植松さんもそうだし、水橋孝さんとか土岐英史さん、トロンボーンの福村博さんもスリー・ブラインド・マイスでファーストアルバムですからね。


『峰厚介 / ミネ』
峰厚介 / ミネ


『植松孝夫 / デビュー』
植松孝夫 / デビュー


■当時のTBM作品の反響ってどうだったんでしょうね。何かその辺りについて聞いたことはありますか?

[塙耕記] すごく売れたっていう話は聞いていませんが、音質に拘った作品というのは最初から打ち出していたので、一定の評価をするオーディオファン、根強いファンはいたらしいです。『山本剛 / ミスティー』は大ヒットですね。


『山本剛 / ミスティー』(10月再発予定)
山本剛 / ミスティー


■今回の48タイトル再発のセレクション・ポイントを教えて下さい。

[塙耕記] レーベルとして発売する立場として一番取り入れたかったのは、30-40代の人をターゲットにしたいというのがありました。なので、まずは尾川さんにDJ視点でセレクトして頂きました。それでモダンジャズで外せないものだとか、どうしてもリリースしなくてはいけないものだとかを織り交ぜました。あと、シリーズになるとリリースする順番は適当っていうわけには行かないのでかなり考えましたね。


■例えば、8月に発売の7タイトルは全て高柳昌行さんの作品でまとめられていますね。

[塙耕記] 当時の発売の順番通りですとバラバラですもんね。ボーカルものだったりモダンジャズ視点のもの、DJ視点のものをバランスよく並べました。

[尾川雄介] あとは、ちょっとイヤらしい話ではあるんですけど、僕と塙さんは中古レコード販売にも携わっているので、「今、中古で出るとすぐに売れるタイトル」だとか「中古で最近見かけないタイトル」だとか「実は内容がいいけど中古であまり見かけないタイトル」っていうのをさり気なく滑りこませてあります。


■8月発売の第3期のタイトルは、高柳さん関連のタイトルでまとめられていてシリーズの中でも目を引きますね。TBMでの高柳さん作品にはどういう印象をお持ちですか?

[塙耕記] 高柳さんというとフリージャズのイメージが強くて、フリージャズを聴かない人は敬遠しちゃうんですけど、実はTBMでの高柳さんの作品の中でどフリーなのは『高柳昌行とニューディレクション・ユニット / メルス・ニュー・ジャズ・フェスティバル '80』だけなんですよ。まあ、アルバムの中に1曲だけ入っていたりもするんですけど、あとの他の作品は、これが高柳さんなの??っていう音なんですよ。『高柳昌行セカンド・コンセプト / クール・ジョジョ+4』なんてコニッツ、トリスターノの世界でクール・ジャズですよ。僕はね、このアルバムはレコード屋さんで自分が思っているより安い値段で出ていると毎回買うんですよ。

[一同] 笑

[塙耕記] 6枚持っていますよ!

[一同] 笑


『高柳昌行とニューディレクション・ユニット / メルス・ニュー・ジャズ・フェスティバル '80』
高柳昌行とニューディレクション・ユニット / メルス・ニュー・ジャズ・フェスティバル '80


『高柳昌行セカンド・コンセプト / クール・ジョジョ+4』
高柳昌行セカンド・コンセプト / クール・ジョジョ+4


■そういうのありますよね!救出ですよね。すごくわかります。

[尾川雄介] ほっとけないという。笑

[塙耕記] 本当に好きなんですよ。


■僕もこのアルバムは超好きです。

[塙耕記] 尾川さんのDJ視点からは語り草がいっぱい出てきますよね。

[尾川雄介] 僕もね、塙さんと同じですね。一般的にはフリージャズにカテゴライズされる高柳さんが、DJ視点で言うところのいわゆるスピリチュアルジャズに分類できそうなことをやっていたというね。例えば『高柳昌行とニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツ / フリー・フォーム組曲』とか、ティー&カンパニーの全作品とか。この魅力っていうのは高柳さんしか出せなかったと思うんです。それがスリー・ブラインド・マイスにこれだけの数が残されているというのは驚きですね。


『高柳昌行とニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツ / フリー・フォーム組曲』
高柳昌行とニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツ / フリー・フォーム組曲


■その他、意外なところではボーカル作品が多いですね。歌はもちろんですが、バックの演奏も素晴らしいです。7月発売の第2期のシリーズに入っていて、JJazz.Net番組「PICK UP」の7月分で皆さんにご紹介した『森山浩二、山本剛 / スマイル』が大好きです。

[一同] いいですよね~

[塙耕記] これと『森山浩二、山本剛 / ナイト・アンド・デイ』も第5期として10月に発売します。音もほんとに良いのでオススメです。軽妙洒脱な歌い方が好きになっちゃって、森山浩二は他にもビクターとかに録音があるんですが、全部CD化したいっていう気持ちになって、まあ、これで達成できるんですけど。笑

[一同] 笑


『森山浩二、山本剛 / スマイル』
森山浩二、山本剛 / スマイル


『森山浩二、山本剛 / ナイト・アンド・デイ』(10月再発予定)
森山浩二、山本剛 / ナイト・アンド・デイ


■思ったことをやっていますね。笑

[塙耕記] そうそうそう。笑 あとボーカル作品で注目は、TBMに1作品だけ残した笠井紀美子さん。『笠井紀美子、峰厚介 / イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー』。

[尾川雄介] これがね~、素晴らしい!

[塙耕記] 峰厚介さんと一緒にね。すごくいいんですよ。


『笠井紀美子、峰厚介 / イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー』
笠井紀美子、峰厚介 / イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー


■DJにとって笠井紀美子さんで有名な作品は『Butterfly』ですよね。
[尾川雄介] そうなんですけれども、ぜんぜん違う感じで素晴らしいですね~。


■尾川さん、唸っていますね。笑

[尾川雄介] 笑 この作品は個人的なTBM体験で一番強烈なものなんです。90年代半ばに、夜中にテレビを見ていたら古いドキュメンタリータッチのドラマがやっていてですね、そこに役者として笠井紀美子さんが出演していたんですよ。で、椅子に座ってタバコを吸いながら歌うんですよ、アカペラで。それがもう衝撃的にかっこよくて。その時には歌っていたその曲がなんという曲だかはわからなかったんですけど、後年、スリー・ブラインド・マイスで峰さんと共演しているこのアルバム『イエロー・カーカス・イン・ザ・ブルー』を買ったらその曲が入っていたんです(しみじみ)。後にそのドラマのことも調べたら、1971年に作られた「さすらい」というロードムービーでした。



■えーっ、たまたま見ていて、衝撃的な曲に出会ったんですね!

[尾川雄介] 本当にたまたまで!

[塙耕記] そのドラマのDVDとかないの?

[尾川雄介] ないんですが、NHKのオンデマンドで見れるんですよ。(現在は視聴できないようです)笠井紀美子さんが出演しているドラマだから、映画「ヘアピン・サーカス」かと思ってDVDを買って見てもその曲は入っていないし、一体何なんだろうと思っていたら、NHKで昔に放送したドラマだったんですよ。


■すごくドラマチックな出会いで忘れられないですね。

[尾川雄介] ほんと、忘れられないです。

[塙耕記] しかもこの曲は、プーさん(菊地雅章)の曲ですけど、笠井紀美子さんが歌詞を乗せているんですよね。

[尾川雄介] そうそうそう、笠井さんが英語の歌詞をつけて歌っているんです。

[塙耕記] こちら(笠井紀美子さんのボーカルバージョン)よりもプーさんの演奏を知っていたので、この曲を初めて聴いたときはなんでボーカルなの?とびっくりしましたね。なので、この曲に関しては、僕にとっても引っかかるものがあったんですよね。

[尾川雄介] もう絶唱ですね。素晴らしい。演奏も歌も。ちょっと普通じゃ聴けないようなものですね。


■そんなに熱く言われると楽しみだな~!このアルバムはいつ発売を予定しているんですか?

[塙耕記] 9月発売の第4期のシリーズです。


■もうすぐだ!楽しみだよ~

[尾川雄介&塙耕記] 笑


■塙さんの個人的なTBM体験を教えて下さい。オススメは?

[塙耕記] これ、オススメがありすぎるな~ 笑

[尾川雄介] うまいな~ 笑


■笑 じゃあ2枚でも3枚でもOKですよ。

[塙耕記] さっき言いましたけど、『高柳昌行セカンド・コンセプト / クール・ジョジョ+4』なんて、レコード6枚も買うほど好きなんですね。


■笑 それはなんでそこまで好きなんですか?

[塙耕記] 僕ね、リー・コニッツとかレニー・トリスターノとかあの辺のクールなタイム感がものすごく好きで、、、

[尾川雄介] なんだけど、高柳さんがやると、、、、

[塙耕記] そう、微妙なテンポのズレ方があって。

[尾川雄介] わかる!

[塙耕記] 独特なんですよ。癖になるというか。例えば、セロニアス・モンクが好きになっちゃうようなもんですよ。あれも独特で、好きな人はすごく好きじゃないですか。その要素もあって大好きですね。


■なるほど。

[塙耕記] あとは、この再発をやって好きになったのが『三木敏悟、高橋達也と東京ユニオン / 北欧組曲』。

[尾川雄介] あ゛ーー

[塙耕記] 実を言うと、本当に申し訳ないんですけど、この作品を聴いたのは結構遅くて。。。中古レコード屋でこのアルバムが100円とか300円とかでいつもあるんで全然聴く気がしなくて(苦笑)。それだけ当時売れているということなんですけどね。


『三木敏悟、高橋達也と東京ユニオン / 北欧組曲』
三木敏悟、高橋達也と東京ユニオン / 北欧組曲


■売れていたのでいっぱい発売されたということですよね。

[尾川雄介] その通りです。

[塙耕記] そういうこともあって、この作品を聞いたのは結構遅いんです。『和ジャズディスクガイド 1950s - 1980s』を書くちょっと前ぐらいかな。

[尾川雄介] わかる。中古市場でよく目にするものってついつい後回しにしちゃうんですよね。


■いつでも聴けるや、みたいな感覚ですよね。

[塙耕記] こちらのね、悪い癖なんですよ。それで聴いてみたらもう、絶品なんですよね(しみじみ)。

[尾川雄介] いいですよね~(しみじみ)。

[塙耕記] エネルギッシュな部分があって。そしてミッキー吉野さんがキーボードで参加していて、彼と三木敏悟さんがバークリー帰りでね。TBMのすごいところは、ここでも当時有名でない人を起用しているんですよね。

[尾川雄介] 三木敏悟さんが作曲で、高橋達也と東京ユニオンが演奏、そこにキーボードでミッキー吉野さんが入るって、普通に考えたら訳分かんない組み合わせですよ。

[塙耕記] まだまだ知られていなくて、これを機会に聴いていただけると人気が出るんじゃないでしょうか。本当に再評価だと思いますよ、この作品は。あとは当たり前に知られている作品もきちんと出します。レアグルーブとして和ジャズとして超有名な『中村照夫 / ユニコーン』とか『鈴木勲 / オランウータン』とか。

[尾川雄介] スリー・ブラインド・マイス云々以前にね。

[塙耕記] あとは、『日野元彦カルテット+1 / 流氷』。好きだな。


『中村照夫 / ユニコーン』
中村照夫	/ ユニコーン


『鈴木勲 / オランウータン』
鈴木勲 / オランウータン


『日野元彦カルテット+1 / 流氷』(12月再発予定)
日野元彦カルテット+1 / 流氷


■どういったところが好きですか?

[塙耕記] それは、尾川さんが『和ジャズディスクガイド 1950s - 1980s』で熱く語ってくれています。あとは初CD化の作品も多いですね。『ジミー・ヨーコ&シン / 清少納言』とか。

[尾川雄介] これは聴いたらびっくりしますよ。めちゃくちゃかっこいいですよ(小声)。


『ジミー・ヨーコ&シン / 清少納言』(12月再発予定)
ジミー・ヨーコ&シン / 清少納言


■なんで小声なんですか。笑

[塙耕記] 尾川さん、この作品については?

[尾川雄介] え、これは僕がセレクトしたんでしたっけ?

[塙耕記] いや、僕が入れたんだけどね(笑)。

[尾川雄介] 第1回日本ジャズ・グランプリで最優秀グループになった3人組で、ジャズと民謡とロックを混ぜたような音楽ですね。


■日本の民謡ですか?

[尾川雄介] そうです。ソーラン節とか。これがね、今聴くと刺激的なんですよ。


■DJとかが反応しそうなサウンドですか?

[尾川雄介] DDJ XXXLのミックス・シリーズ『Nippon Breaks & Beats』に収録されていて、「あれは誰の曲だ?」って話題になったんですが、皆んな分からなくて。で、スリー・ブラインド・マイスの『清少納言』に入っているとわかった時は驚きでしたね。それ以来、ちょっとまた人気が出た感じの作品です。


■それが初CD化なんですね。

[塙耕記] 初CD化です!あとは、ジャズの作品として『峰厚介 / ミネ』はものすごく完成度が高いと思います。


■いやー、すごいですよね。演奏が素晴らしい!番組「PICK UP」の6月分で皆さんにご紹介しました。

[塙耕記] ね!あと、音色がいい。もうなんかね、しびれるんですよ。

[尾川雄介] ほんと、素晴らしい。

[塙耕記] あと、『水橋孝カルテット+2 / 男が女を愛する時』も完成度が高くて、これからもっと人気が出ると思います。

[尾川雄介] この作品は、ここ最近、中古市場で売りに出されるとこっそりとすぐに無くなるタイプの品ですね。

[塙耕記] 今回の再発で知られると、中古市場での動きも変わると思います。

[尾川雄介] 変わりそうですね。もんのすごく内容がいいんですよ。

[塙耕記] 僕は哀愁系が好きなんです。さっきの『三木敏悟、高橋達也と東京ユニオン / 北欧組曲』もそういう曲が入っているんですけど、『水橋孝カルテット+2 / 男が女を愛する時』の1曲目もすっごい素晴らしい。あと2曲目の「So What」。15分間やってるんですけど。

[尾川雄介] このベースが、すごい!


『水橋孝カルテット+2 / 男が女を愛する時』
水橋孝カルテット+2 / 男が女を愛する時


■また唸ってますね~。

[塙耕記] だからアルバム全体としてオススメしたいのは、『高柳昌行セカンド・コンセプト / クール・ジョジョ+4』、『峰厚介 / ミネ』、『水橋孝カルテット+2 / 男が女を愛する時』の3枚だな。とにかく『高柳昌行セカンド・コンセプト / クール・ジョジョ+4』大好き!

[一同] 爆笑


■6枚持ってるんですもんね!

[塙耕記] 売りませんよ!笑


■よくわかりました。笑 あとは、ビッグバンドのことについて。原信夫さんがTBMに作品を残しているというのは意外ですよね。

[塙耕記] そう。TBMに作品があることを知らない人は多いですね。今回再発する『原信夫とシャープス&フラッツ / 活火山』って何?って皆んなに言われますね。

[尾川雄介] 素晴らしいアルバムですね~。シャープス&フラッツがアグレッシブなことをやってやがてフュージョン期に入っていくんですけど、そのちょっと後に完全に成熟したタイミングがあるんですね。いわゆるビッグバンドのダイナミズムも楽しめるし、モダンジャズとしてもジャズロックとしても非常に優れた魅力を備えていて、ものすごく聴きごたえのある音楽を演奏していた時期。その頃の作品です。

[塙耕記] 普通は、マイナーレーベルでビッグバンドの録音なんてないんですよ。予算がすごくかかるので。ところがTBMには原信夫やジョージ川口だったりビッグバンドの録音が結構あるというのが大きなポイントですね。あとは、この作品の編曲家に注目ですね。当時の新進気鋭のアレンジャー「しかたたかし」が担当しているのですが、それが素晴らしいんですよ。


『原信夫とシャープス&フラッツ / 活火山』
原信夫とシャープス&フラッツ / 活火山


■ここでも、新進気鋭ですか。ビッグバンドはアレンジャーの仕事に注目してみるという楽しみ方もありますね。

[塙耕記] あとは、鈴木勲さんと山本剛さんの作品ですね。このお二人の作品は当時全部ヒットしていますから。鈴木さんの作品は、今回の再発シリーズでは8月の高柳昌行特集以外全てに入れています。

[尾川雄介] レアグルーブの方で鈴木勲さんというと、サンプリングネタにもなっている『BLOW UP』というイメージがありますけど、今回再発する『鈴木勲 / あこの夢』に収録されている「Feel Like Makin' Love」が素晴らしいんですよ。すーごくハートフルな、ベースがほんっとに良く歌っているバージョンです。今、人気がすごくありますね。


『鈴木勲 / あこの夢』(10月再発予定)
鈴木勲 / あこの夢


■話は尽きないですね!

[尾川雄介] こうやってレコードを持ってきていたら、いつまででも話せますね。笑 実際に聴いてみたりして。


■よくわかりました。笑 今回の再発ならでは、というような企画はあるんでしょうか?

[塙耕記] 6~7タイトルずつ、毎月7回にわたって合計48タイトルを発売するという風に、現在のところは予定しています。反響がすごく良かったら、追加があるかもしれません。それで、毎月の再発からいずれかのタイトルを購入すると、毎回デザインの違うステッカーが付きます。これはどのお店で購入しても付きます。(なくなり次第終了) それと、ディスクユニオンで購入するとですね、その月に再発されたCDすべてがピッタリと収まるCDボックスがもらえます。


特典ステッカー(サンプル)
第3期特典ステッカー 第4期特典ステッカー


特典ボックス(サンプル)
特典ボックス 特典ボックス


■そのボックスはどれか一枚を購入するともらえるんですか?

[塙耕記] いいえ。その月に再発されたCDをまとめて購入するともらえます。例えば、8月でいうと、高柳昌行さんの7タイトルをディスクユニオンでまとめて購入するともらえるというわけです。


■このボックスが、くすぐってきますね。笑

[塙耕記] 実はこれも毎回デザインを変えます。


■こだわりますね~

[塙耕記] あと、ジャケットも紙ジャケットで、紙質なども可能な限りオリジナル盤を再現しています。


■ライナーノーツも当時の再現ですか?

[塙耕記] オリジナル盤の仕様を再現しています。ジャケットとライナーノーツのサイズ比は少し違うんですが、CDのジャケットに挿入できてなおかつ読みやすい大きさにして再現しています。中に入るギリギリの大きさというものにミリ単位でこだわっています!


■おお、すごーい!冊子みたいになっているんですよね。

[塙耕記] さらにこのライナーノーツの紙質から印刷の雰囲気まで、ぜーんぶ、再現しています。


■こりゃ、すごいこだわりですね!

[塙耕記] それで音質はBlu-spec CDですから満足していただけると思いますよ!しかもBlu-spec CDのロゴを帯に載せなければいけないんですけど、普通はそのロゴは青いものなんですけど、今回はソニーさんに無理を聞いていただいて、スリー・ブラインド・マイスのデザインにマッチするようにモノクロにしてあります。


■そういうことって大切ですよね。そこが青かったら画竜点睛を欠くというか。

[尾川雄介] 僕はTHINK!レコードの人間ではないのですが、出来れば今回の再発はまとめて買っていただきたいですね。さっき言いましたように、和ジャズを軸にしてモダンジャズファンとレアグルーブファンが互いの評価している音楽に興味を持ち始めて、新たな発見を楽しんでいます。そういうことってちょっと踏み込んでみないと起こらないと思うんですよね。そんな中で、今回の再発は両方の側面をうまく混ぜ込んでまとめてありますので、できれば6枚7枚をまとめて買ってみていっぺんに聴くと新たな発見があると思います。

[塙耕記] スリー・ブラインド・マイスのタイトルをこれだけ大掛かりに再発することは初めてのことなんですよ。最初で最後のCD化じゃないかと思うタイトルが混ざっています。当時の日本人のジャズ史、約10年ほどを捉える機会だと思います。

[尾川雄介] モダンジャズがあって、フリージャズがあって、ジャズロック的なものがあってビッグバンドもあって歌ものもあって。本当にある意味、70年代の日本のジャズの縮図と言っても過言ではないですね。

[塙耕記] 自分も全部欲しいです。日本のジャズがつかめるようになっていますから、そういうライブラリに適してると思います。


[Interview:樋口亨]




尾川雄介(universounds)×塙耕記(diskunion) インタビュー

尾川雄介(写真右)
「中古レコード店universoundsの主宰者。再発シリーズ「Deep Jazz Reality」の監修をはじめ、DJ、ライターなど幅広く活動している」
http://www.universounds.net/


塙耕記(写真左)
(株)ディスクユニオン勤務。ジャズ統括責任者およびTHINK! RECORDSディレクター。廃盤売買で暗躍(笑)する傍ら、BLUE NOTEのアナログ盤や和ジャズの復刻シリーズなどを監修する。著書に"和ジャズ・ディスク・ガイド"がある。

THE BRAND NEW HEAVIES インタビュー:インタビュー / INTERVIEW

今年はACID JAZZ RECORDSの25周年。
それに合わせたかのようにインコグニートのブルーイが初のソロ作を出し、6/19には、omarが新作を発表、
そして同じくアシッド・ジャズ黎明期からシーンを支えたTHE BRAND NEW HEAVIESも、
5月に黄金期のヴォーカリスト、エンディア・ダベンポートを迎えた約7年振りとなる新作『Forward』をリリース!

そんなTHE BRAND NEW HEAVIESが先日来日。
DJ KAWASAKIさんの番組「WHISKY MODE」の為、短い滞在期間にも関わらず、
ウイスキー好きのサイモン(g)とアンドリュー(b)が快く取材を受けてくれました。

次回の「WHISKY MODE」(6/19-7/17)で生声はお届けするとして、
彼らとの貴重なインタビューをご紹介します。

[JJazz.Net 岡村誠樹]


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【THE BRAND NEW HEAVIESインタビュー】

■Q. 日本は久しぶりですか?また日本で楽しみにしている事は何ですか?

[アンドリュー]
2011年11月のBillboard Liveで来たのが最後です。だからすごく久々ではないですね。フライトが非常に長くて日本に到着するまで時間がかかるけれども本当に日本は大好きで、デザインやお客さんのエネルギーが最高にいいので毎回楽しみにしています。

[サイモン]
日本と僕らのバンドの間には 確実に恋愛関係みたいなものがあって毎回楽しみにしています。そしてお店の名前がおかしい(笑)。すごい不思議な名前のお店とかがあって、それがいつも笑わせてくれる。あと、夜が明るい。渋谷とか昼間みたいなのでいつも驚きです。




■Q. 2013年はACID JAZZ RECORDSの25周年。TBNHが当時から意識していた事とは?

[サイモン]
特に最初からゴールを作っていたわけではなく、こんなふうにやろうとしていた意図はなかった。
本当に好きな音楽をただ演奏していただけで、近所に小さいクラブがあって、そこがファンクミュージックをたくさんかけていて、今はわりとよくどこでも聴くけど、当時ファンキーな音楽をかけてるクラブは非常に珍しかった。

それは当時レア・グルーヴって言われていた音楽なんだけれども、その音がすごく好きで、それを「皆でやろうぜ」って言って、ただやってきただけ。

その当時から今も変わらず「やりたいこと」、「やるべきこと」をやって進んできただけで、アメリカの音楽の影響を受けながら、僕らは音楽という名前の海みたいな広いところに、ポツンと一滴おちたような存在だと思っています。一歩一歩進んできたから30年間近くもやってこれたんだと思う。

[アンドリュー]
そう。僕らは本当に好きな事をやろうよ、と言ってやってきただけで、レコード会社との契約を狙っていたわけではない。もともと彫刻家やアーティストになりたかったし。

例えば短編のフィルムを撮ったり、映像作家になりたいと考えていたので、音楽をやろうと思っていなかったんだ。でも、計画せずともここまで来れた事は非常にラッキーだと思っています。




Q. あの当時と決定的に違うのはインターネットの存在。TBNHにとってインターネットの存在は大きいですか?またメリットを感じていますか?

[サイモン]
まず最初にこの質問してくれてありがとう。これまでに、「25年前と今ではどういう風に音楽業界は変わりましたか?」って質問がやたらとくるんだけど、そう言っても「インターネット」としか言い様がないから、そこをすっとばして「インターネットがあることについてどう思う?」と質問してくれたことに感謝します。

とにかく革命だと思うし、素晴らしいことだと思う。誰でもチャンスがあって自分の作った音楽を、より広くの人達に配信できて、人の心を動かせることが出来るというのは本当に素晴らしいことだと思う。

でも逆に言うとロック・スターがいないよね。それが良い悪いじゃなくて、いわゆるスターと言われるアーティストの寿命がすごく短くなったよね。

[アンドリュー]
そう、スターの寿命が短いぶん、しょっちゅう出さないと困る(笑)。僕らも年に1枚くらいのペースでアルバムを出して行かないといけないかもしれない。とにかく速くて情報量がものすごく多いから。でも良い悪いは別として、音楽は重音符が鳴っているだけのものだからね。

メリットは"あまりお金がかからない"という事。すべてがデジタルになることによって、以前だったらレコード会社のヘルプがなければアルバムが作れないという事があったけれど、今はプロモーションやアルバム制作に実際お金がなくても、レコード会社がいなくても、作品が作れるという意味では非常に大きなメリットだね。




Q. スタジオ・アルバムとしては7年振りとなる新作『Forward』をリリースされましたが、コンセプトやテーマについて教えて下さい。

[アンドリュー]
とにかく早く終わらせたかった(笑)。この前のリリースが2006年で、そこから7年経ってるし。ただ、音楽的にどうこうしようっていうのはなくて、TBNHらしい音というのは既に出来上がっていて、ドラムがたくさん入っていて、ベースがあって・・・。アガるようなバイブスを持った、いわゆるTBNHサウンドがあるからそれらをとにかくまとめて、"アルバムとして終わらせる"ということに、とにかくフォーカスしました。

[サイモン]
そしてしばらくの間、スタッフを全員入れ替えてたんだ。ビジネスサイドのトラブルがいくつかあって、前の前のマネージャーらにはひどく傷つけられた。
そういうことにメンバーがフォーカスしなければいけない状況があって、しばらく音楽のほうに集中できなかったんだ。
やっと(ダメなマネーシャーがやめたところに)今のマネージャーが見つかって、音楽に集中しようよ、というところでアルバム制作が始まったんだよ。

[アンドリュー]
アルバムの制作を始めてから全ての曲ができたわけではなくて、ものによっては10年前に作って寝かせてあった曲をもう一度引っ張りだして作り直したものもあるので、ここ10年くらいから遡って、これまでの日記(経験)をひとつひとつまとめていったようなアルバムだと思うよ。

[サイモン]
レヴューとかを見ると「最高傑作」と言われているみたいで、それは嬉しいけれど僕らにとってはそういう感じでもなく一つ一つの事にベストを尽くしていったんだ。

[アンドリュー]
インプロヴィゼーションがライブでも多いから、1回ギグをやることで新しい曲がどんどん出来ていくから、素材としてはもう5,000曲くらいあるんじゃないかな。
だからコンセプチュアルというよりは、「とにかくまとめよう」、「早く終わらせよう」、というのが今回の作品かな。




Q. 最後に今後の予定、そして(予定されている新作)『Heavy Rhyme Experience vol.2』についても教えて下さい。

[サイモン]
とりあえずこのアルバムのプロモーションとツアーを、戻ってからもやると思います。ツアーも既に1年先まで決まっているわけじゃないから、何か予定がきたり、ギグがくればツアーをやっていく予定です。

『Heavy Rhyme Experience vol.2』の話も確かにあるんだけど、ビジネス方面だとか、色んなアーティストが関わるから契約が大変なんだよね・・・。

でも、ヒップホップとライブミュージックを融合させたのは僕らが最初と言えると思うので、それ以前にも何人かのアーティストはいたけれど、いわゆるラッパーの人たちと生音を合わせたのは僕らが初だから、それに関しては胸を張ってもいいんじゃないかな。

『Heavy Rhyme Experience vol.2』のアイデアはいくつかあるけれど、アメリカでしかできないとずっと思っているというのはひとつある。ニューヨークに行って一週間くらいでババっと、やれたらいいんだけど、それまでの準備がとても大変なんだよね。

アイデアでいうと、この前アメリカでレコード屋に行った時、そこで流していたビデオをみたら日本のラッパーがMCバトルをやってて、あ、別にアメリカ人じゃなくてもいいんだ。と思って。
ラッパーってどこにでもいるし、ヨーロッパ・バージョンやドイツ・バージョン、そしてアジアバージョンの作品も作れるかもしれないね、という話はしていたんだよね。

[アンドリュー]
ひとつやらなきゃいけないのは純粋な(完璧な)ファンクのアルバムを作りたい。僕らが本当に好きな曲だけを、誰のこととかも考えずに、こうやったら売れるとか商業的なことも一切考えずに、ボーカルも入れずに楽器だけでやりたいよね。って話をしていたんだ。

よくサウンド・チェックやリハの時に、ただ楽器をかき鳴らして音を作るんだけど、ああいうジャム・セッションみたいのを一度ちゃんと録ってアルバムにしてみようか?というアイデアはある。

もしそれを録ったらインストゥルメンタルのバージョンを一枚作って、そこに日本人とか他の国のラップを絡ませてダブル・アルバムにしちゃったら面白いかもね。


ありがとうございました。




【The Brand New Heavies feat N'Dea Davenport - Sunlight (official video)】

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『Forward / THE BRAND NEW HEAVIES』

Forward


Forward / THE BRAND NEW HEAVIES

リリース:2013年5月8日
P-VINE
製品番号:PCD93686

黄金期のヴォーカリスト、エンディア・ダベンポートを迎え、ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズが新作アルバムを完成! ロンドン発、アシッド・ジャズの先駆者にして90 年代のアメリカのR&B シーンでも世界的ヒットを飛ばしたザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズ。「ネヴァー・ストップ」、「ドリーム・オン・ドリーマー」、「ユー・アー・ザ・ユニバース」など黄金時代の名曲を思い起こさずに入られない内容の新作アルバムが遂に完成!あのエンディア・ダベンポートもヴォーカルに復帰し、"あの頃感"満載の1 枚に!当時聴いていたリスナーには期待を裏切らない作品であり、当時を知らない若いリスナーには新鮮に響く素晴らしい作品が誕生!!あらためて音楽の素晴らしさ、楽しさを教えてくれる1 枚です!!


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【THE BRAND NEW HEAVIES】

ザ・ブラン・ニュー・ヘヴィーズは過去20 年間に渡ってジャズ、ファンク、ソウルのような様々な音楽をブレンドし、世界中のダンス・ミュージックシーンに多大な影響を与えてきた。結成当時からメンバーは変わらない。ヤン・キンケード、(ドラム/ キーボード)、サイモン・バーソロミュー(ギター)、アンドリュー・レヴィ(ベース)の3 人からなる。彼らの音楽はシーン自体に影響を与え、「アシッド・ジャズ」と呼ばれるようになった。バンド名ははソウルのゴッドファザーにして「ミニスター・オブ・ニュー・スーパー・ヘヴィー・ファンク」ことジェイムス・ブラウンへのオマージュである。1988 年に「Got To Give」でCooltempo というレーベルからデビュー。まだアシッド・ジャズレーベルと契約を結んで『ブラン・ニュー・ヘヴィーズ』をリリースする前だった。その後アメリカ人のシンガー、エンディア・ダベンポートと出会う。ユーリズミックスのデイヴ・スチュワートはエンディアにソロアルバムの契約を提示したが、彼女はこのオファーを断り、ブラン・ニュー・ヘヴィーズと繋がった。これが彼らの黄金時代の始まりである。デビュー・アルバムは、エンディアのヴォーカルを追加して1992 年に全世界で再発された。「ネヴァー・ストップ」、「ステイ・ディス・ウェイ」、「ドリーム・カム・トゥルー」など大ヒット曲が収録されていた。その後、ヒップホップのラッパーを迎えた『ヘヴィー・ライム・エクスペリエンス:ヴォリューム1』、をリリース。94 年のアルバム『ブラザー・シスター』の後、エンディアはバンドを離脱。97 年にはアルバム『シェルター』を発表。ライブ盤、リミックス盤など多くのアルバムをリリース。そして2013 年に満を持してエンディア・ダベンポートを再び迎え入れ新作アルバム『フォワード』をリリース!


レーベルサイト(P-VINE)


THE BRAND NEW HEAVIES Official Site

ものんくる(角田隆太&吉田沙良) インタビュー:インタビュー / INTERVIEW

2011年1月に活動を開始したばかりの新人ながら、ビッグバンドスタイルのジャズと日本語ポップスをブレンドした他にはないサウンドで、耳の早いリスナーの注目を既に集めていたグループ、ものんくる。
メンバー全員がほぼ20代という新世代グループが、5月22日に実質上のファースト・フル・アルバム『飛ぶものたち、這うものたち、歌うものたち』をリリースしました。
プロデューサーは、鬼才、菊地成孔。
氏曰く、「ギル・エヴァンスのビッグバンドやカーラ・ブレイのオーケストラ、チャーリー・ヘイデンのリベレイション・ミュージック・オーケストラなどを思い起こさせる、完成度の高いモダンアレンジ・サウンドで、全曲のクオリティが高い」というお墨付きです。
めくるめくビッグバンド・アレンジの中でも映える歌声で、物語のような日本語の歌詞を絶妙な温度で聴かせてくれます。
一聴して、洗練された新しいアコースティック・ポップ・ミュージックという印象を受けるのですが、これからお届けするインタビューでは、それだけではない、想像できなかったルーツやメッセージを発見することができました。

グループの中心人物のお二人、作詞作曲編曲・ベースを担当している角田隆太さんとボーカルの吉田沙良さんにお話を伺いました。


ものんくる『飛ぶものたち、這うものたち、歌うものたち』
飛ぶものたち、這うものたち、歌うものたち

■タイトル:『飛ぶものたち、這うものたち、歌うものたち』
■アーティスト:ものんくる
■発売日:2013年5月22日
■レーベル:Airplane label
■カタログ番号:AP1049
■価格:2,625円(税込)
■アルバム詳細:http://airplanelabel.shop-pro.jp/?pid=57523301


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ものんくる(角田隆太&吉田沙良) インタビュー

■お二人の出会いを教えて下さい。

[角田隆太] 他の人のバンドのメンバーとして集められた際に出会いました。

[吉田沙良] 私はまだ大学生の頃でした。

[角田隆太] 僕は大学を卒業して1年目でしたね。


■その後、どうして一緒にバンドをやることになったのですか?

[角田隆太] 楽しかったんですよね。

[吉田沙良] ちょうど、私がメインのCDを作ってみないかという提案を大学から頂いて。でも、一緒に録りたいメンバーがいないなーと思っていて。その頃さっきの他の人のバンドで角田さんたちと一緒にライブする機会があって、この人達となら一緒にやりたいなと思いました。それで、私から声をかけたのが始まりです。角田さんがすごく素敵なオリジナル曲を書くので、それを録音したところから、ものんくるが始まりました。


■それは何年前ですか?

[角田隆太] 2年前ですね。2011年1月に結成してその年に最初のミニアルバムを(SG Worksより)リリースしました。


■何度も質問されているかもしれませんが、「ものんくる」という言葉に何か意味はあるのですか?

[角田隆太] 伊丹十三さんが監修していた「ものんくる」という雑誌があるという話を聞いて、その響きが気に入って頂いちゃいました。なので、それ自体に特に意味は無いんです。


■ものんくるの音楽は、モダンなビッグバンド・アレンジと日本語の歌詞による日本の歌の世界観がミックスした、新しいアコースティック・ポップ・ミュージックという風によく言われていると思うんですが、結成当初からそのようなスタイルだったんですか?

[角田隆太] 最初は管楽器が2人しかいなかったのでビッグバンドではなかったですけど、サウンドはそれほど変わっていないですね。


■ものんくるサウンドの源を少し知りたいなと思うのですが、音楽にハマったきっかけは何ですか?

[角田隆太] 一番最初にすごくいいなと思ったのは、aikoでしたね。友達の家にあった『桜の木の下』というアルバムを聴いて、音楽スゲーと思いましたね。その時は小学生だったので具体的に何がいいかはわからなかったんですけど、音楽を聴いていて幸せになったという経験が初めてでした。


■その時は何か楽器は演奏していたんですか?

[角田隆太] やってなかったです。


■じゃあ、普通に聞いていて衝撃を受けたんですね。

[角田隆太] それからずっとこのアルバムだけを聴いていました。


■楽器を始めたのはいつですか?

[角田隆太] 中学生の時に友達とかもやり始めたし、クラシックギターを習いました。それで中学3年生の時に友だちにバンドに誘われたんですが、ギターが既にいたのでベースをやることになりました。よくある展開ですね(笑)。


■そのバンドは何を演奏していたんですか?

[角田隆太] オリジナルのメロディック・ハードコアです。


■メロコアだ!オリジナルで(笑)。全くそんな片鱗を感じさせないんですけど(笑)。

[角田隆太] あ、そうですかね(笑)。


■僕の中で、ものんくるのサウンドからどんどん離れていっています(笑)。aikoの方がまだ近い。

[角田隆太] 確かに(笑)。


■しばらくバンドは続くんですか?

[角田隆太] 大学2年生までメロコアやってましたね。で、大学1年生の時に、また友達に誘われてビッグバンドサークルに入るんですよ。


■メロコアをやっていた人がビッグバンドサークルに入るんだ!何で(笑)?

[角田隆太] その友だちが好きだったんで(笑)。仲良くなりたかったんですよね。


■あるある。

[角田隆太] ありますよね(笑)?


■じゃあ、大学でビッグバンドに入ってアップライトベースを始めたんですね。それまでは全くジャズは聴いていないですよね?

[角田隆太] 聴いていなかったですね。


■そこから聴き始めて、4年後に卒業してすぐに、ものんくるがあるんでしょ?何か早いね(笑)!

[角田隆太&吉田沙良] 笑

[角田隆太] 僕としてはメロコアやっているのとあんまり変わらない気持ちでやっているんですけどね。


■まじで!?例えばどの点ですか?

[角田隆太] ボーカルが声を張って、、、

[吉田沙良] エモさです。(笑)


■あー!なるほどね~!確かにボーカルがピークでは声を張ってるのが聴けますね。ものんくるの曲は1曲の中にピークが2回3回と来るアレンジですよね。それはメロコアから影響を受けているんですか(笑)?

[角田隆太] あ、そうですね。メロコアは1曲の間ずっと張っていますからね。それが(ものんくるでは)ちょっと凹んだりして繰り返すみたいな(笑)。


■沙良さんの音楽にハマったきっかけはいかがですか?

[吉田沙良] 物心ついた時からずっと、歌を歌いたい子で、歌手になるのが最初から夢でした。ちっちゃい時から歌うのが好きでしたね。


■その頃特に好きだった曲などありますか??

[吉田沙良] 3歳とか4歳だったので全然覚えていないんです。物心ついたのが小学校3年生の時だったので、それまではポワポワ生きていました(笑)。物心ついてからは、お姉ちゃんが聴いていた音楽を一緒に聴いてますます歌うことが好きになったんですけど、特に誰かみたいになりたいというのはなかったです。お姉ちゃんの影響で宇多田ヒカルとかミスチルとかを聴いていました。


■小学校3年生でその頃かぁ。僕は成人していましたよ(笑)。渋谷系とかサバービアとかは知ってる?

[吉田沙良] さ・ばー・び・あ??


■笑

[角田隆太] わかんないですね。


■で、沙良さんもバンドを始めるんですか?

[吉田沙良] バンドは全然やったことがなくて、ものんくるが初めてです。それまでは、とにかく歌うことが好きだったので、中学校で合唱部に入ってコンクールに出たり、部活でミュージカルに出たりしていました。


■その影響は、ものんくるのドラマチックな歌から感じますね。

[吉田沙良] どうやったらプロになれるのかをずっと考えた結果、クラシックを高校で学ぼうと思って桐朋学園で声楽を習いました。でもその頃からクラシックが好きじゃなかったんで、、、


■笑

[吉田沙良] 基礎を習うために入ったので好きではなくって。隠れて自分で曲を作ってピアノで弾き語りをしたりしてポップスをやっていました。それで、クラシックはもういいだろうと思って、やったことのない音楽をやってみたいなと思って洗足学園音楽大学のジャズ科に入学しました。


■なるほど。

[吉田沙良] そこで初めてジャズを聞いてかっこいいな~、と思いました。ジャズってバンドを組まなくてもその辺にいる人たちでセッションしてライブしてってできるし。そんなことをしていたら角田さんと出会いました。


■じゃあ、学外の活動で出会ったんですね。ふたりともジャズとは大学で出会うんですね。ジャズは好きですか?

[吉田沙良] 高校生の時に自分で曲を作ってライブをしていたんですけど、自分の曲が好きじゃなかったんですよ(笑)。でもライブをしたいし歌いたいから作ってやってたんですけど、ジャズと出会って、こんなにいい曲がすでにあるじゃないかと。その曲達を自分なりに吸収してライブでやっていいんだ、という環境に初めて出会ってすごく楽しくなりました。


■そりゃもう、もってこいだよね。

[吉田沙良] (笑)。ジャズっていうツールが面白いなあと思って。

[角田隆太] ジャズは人間的な音楽という気がしますね。他の音楽だったら前もって準備してちょっとかっこつけたりできるけど、ジャズはそういうことは一切できないし、人間的な駆け引きで成立していくような感じのところが面白いですね。


■好きなジャズミュージシャンはいますか?

[吉田沙良] わたしは、、、、誰だっけ?


■笑

[角田隆太] グレッチェン・パーラト(笑)。

[吉田沙良] (笑)。あと、、、、

[角田隆太] カーメン・マクレエ(笑)。

[吉田沙良] そう、カーメン・マクレエ(笑)。全部忘れる(笑)。


■角田さんはいかがでしょう?

[角田隆太] ハービー・ハンコックです。


■ちょっと意外ですね。

[角田隆太] ブチ切れちゃうところが好きですね(笑)。


■なんだ、角田さん、そういう所あるんですね(笑)。

[角田隆太] そうですね(笑)。


■わかりました。ものんくるの聴き方がちょっと変わります(笑)。

[角田隆太&吉田沙良] 笑

[レーベル担当者A氏」僕もちょっとわかった(笑)。やっぱエモいんですね。

[角田隆太] そうなんです。


■はみだしたり、過激な方面に行くエネルギーに魅了されるんですね。

[角田隆太] そうなんです。


■それで沙良さんは声を張らされてるんだ(笑)。

[角田隆太&吉田沙良] 笑


■沙良さん、ものんくるの歌は大変ですか?

[吉田沙良] 大変とは思ったことはないですけど、今回のアルバムが出来上がるまでは、曲をちゃんと飲み込めたと思ったことは一回もなくて、ライブでも毎回チャレンジという気持ちでずっとやっていました。


■そうですよね。かなり難しいメロディーもありますもんね。

[吉田沙良] でも、私もいろいろな音楽を通ってきたけど、ものんくるの音楽が一番しっくり来ているので、難しいというのが全然嫌ではないですね。


■アルバムのことについて聞かせてください。このタイトル『飛ぶものたち、這うものたち、歌うものたち』というのは何か意味があるのですか?

[角田隆太] これは、プロデューサーの菊地(成孔)さんがつけました。


■あ、じゃあ質問してもわからないですね。

[角田隆太] わかりません(笑)。


■これはものんくるのことなのかな?

[レーベル担当者A氏」ものんくるのことです。


■飛ぶものたち、は何なんだろう?

[レーベル担当者A氏」菊地さんのメルマガに、ものんくるにはフラミンゴのような飛翔力があって、吉田さんの事は手足が長くてベリーショートなので、美しい鳥のようだと書いてありました。そのイメージじゃないかなと思いますね。


■なるほど。ライブで要確認ですね(笑)。はじめてレコーディングにプロデューサーを迎えての作業はいかがでしたか?

[角田隆太] 菊地さんは基本的に勝手にやっていいよという感じだったので自分たちで進めていって、行き詰まったときに天の声を頂くという感じでした。


■角田さんが作曲して沙良さんに歌詞とメロディーを渡す際には、かなりのディレクションがあるのですか?

[吉田沙良] 歌い方のディレクションはないです。

[角田隆太] (エアーギターをしながら)まず僕が自分で歌って、それを聴いてもらう感じです。


■あ、ギターで。ものんくるの曲をギターで弾き語るんですか?

[角田隆太] ま、できてないんですけど(笑)。間違えたとか言いながら(笑)。

[吉田沙良] それを聴いて、その場で歌ってみる感じです。


■作詞も角田さんですが、歌の世界観を共有したりするんですか?

[吉田沙良] 歌ってくれている時に聴いて理解します。私が気になったところは質問するという感じです。

[角田隆太] 本当に話したいことは話すけど、全体として話すことはないですね。


■作詞のインスピレーションは何ですか?実体験ですか?

[角田隆太] 実体験ではないです。イメージですね。


■好きな本はなんですか?本は読むほうですか?

[角田隆太] 本は読みますね。今読んでいるのはヘンリー・ソローの『森の生活』です。


■どういう内容なんですか?

[角田隆太] 南北戦争が終わった頃に森で生活した話が綴られています。面白いですよ。


■自然についての話が出てきたというわけではないですが、歌詞を聴いていると、人知の及ばないものに対する畏怖だったり、あはれとか無常だったりという言葉が浮かんできました。「消えていく」という言葉が度々出てくるように思います。

[角田隆太] 小説を読むとしたら泉鏡花とかなので、そういう所はあるかもしれませんね。


■歌詞を聴いていて質問したくなったのですが、今の世の中についてどう思いますか?

[角田隆太] このアルバムを作っていた時期は、原発がかなりやばそうだな、っていう時期でした。収録曲のうち「春を夢見る」以外は全部 3.11の後に作ったものです。そういう意味でかなり 3.11が影響していると思います。今は一時期よりもましになったのかもしれないですけど、ネズミがかじって電源が落ちるとか、いつどうなっちゃうかわからないところがあって、どうしようかなといつも思っています。


■いつどうなるかわからない、というようなところは音楽から感じます。沙良さんはいかがですか?

[吉田沙良] 全く同じ気持ちです。


■むかついていますか(笑)?

[吉田沙良] むかついてはいないですけど、言葉で言うのは難しいですね。思うものはたくさんあります。むかつくというより悲しい。


■長いスパンで物事を考えることを忘れている、というところに僕はむかついています。このアルバムには、長いスパンで考えることが大事というメッセージも含まれている気がして個人的には嬉しかったです。

[角田隆太] そこはすごくありますね。人間の命のサイクルを超えたスパン。


■歌について、歌うことについてどう思われますか?

[角田隆太] インストで重要なことも伝えられるなと思うんですけど、歌にしか伝えられないこともやっぱりあって。特に3.11後に発信するっていう時に、インストをやっているだけではいけないような気もするというか。ちゃんと言葉にして人に伝わる形にして勝負をしたいなと思いました。


■3.11はこのアルバムにかなり大きな影響を与えているんですね。

[角田隆太] めっちゃそうですね。


■沙良さんはいかがですか?

[吉田沙良] 私は楽器になりたいと思っていて。歌詞のない楽器が羨ましいな、とずっと思っていて。なので、ものんくるの歌詞に出会うまでは、歌で歌詞を伝えるということにあんまり気を使っていなかったというか考えてこなかったというか。ものんくるの歌詞を見て、「あぁ、歌わなきゃいけないな」って思いました。


■ものんくるは歌があってこそ、と思います。では最後に、夢や目標を教えて下さい。

[吉田沙良] 私は、NHKのEテレで、ものんくるの曲とかが流れるようになりたいです。

[角田隆太&吉田沙良] ものんくるとしての目標は、普通すぎて申し訳ありませんが、ツアーで全国に演奏しに行きたいなと思っています。


[Interview:樋口亨]




『飛ぶものたち、這うものたち、歌うものたち』発売記念ライブ

6月2日(日)@モーション・ブルー・ヨコハマ

開場16:00 開演17:30 & 19:30
詳細


6月13日(木)@青山CAY

Open 18:00 ~ 菊地成孔 DJ / Start 20:00 ~ ものんくるライブ
詳細




ものんくる
ものんくる

運命の年である2011年1月に角田と吉田を中心に結成。
早くも同年10月にはSG Worksよりファーストミニアルバムをリリース。
翌年1月に行われたmotion bulue yokohamaでの単独ライブは、結成1周年にして400名余を導引した伝説のライブとなった。
Airplane Labelから実質上のデビュー・フルアルバムである本作のリリースが決定後、その年の12月に菊地のイベント「モダンジャズ・ディスコティーク」並びにTBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」出演~紹介されるや否や大きな反響を呼ぶ。

ものんくるオフィシャルサイトhttp://mononcle.aikotoba.jp/
吉田沙良オフィシャルサイト:http://sarayoshidavocal.wix.com/otameshi

Jukka Eskola Orquesta Bossa interview:インタビュー / INTERVIEW

ザ・ファイブ・コーナーズ・クインテットのリーダー、
ユッカ・エスコラによるボサノヴァ・プロジェクト(=Jukka Eskola Orquesta Bossa)が始動。

このプロジェクトと同名の新作は「夜ジャズ.Net」でお馴染み、
DJの須永辰緒さんが共同プロデューサーとして名を連ねる他、Jill-Decoy associationのchihiRoさんも参加。
まさに日本とフィンランドの懸け橋となる、注目のボサノヴァ・プロジェクトです。

そんなユッカ・エスコラのインタビューをご紹介。
質問は須永辰緒さんです。


→Jukka Eskola Orquesta Bossa特集。
「夜ジャズ.Net」(2013.5/15-6/19 OA)


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【Jukka Eskola インタビュー】

■Q. 今回のボサノヴァプロジェクトに関して。

私は古いボサノヴァ・アルバム(主に60'Sおよび同時期にリンクしたアメリカのジャズミュージシャン残したヴィンテージ音源)をずっと愛聴しています。私の演奏するトランペットでのプレイは主にジャズやジャズサンバに影響されていますがブラジル音楽に関してはエキスパートではありませんでした。

このプロジェクトは実際異なるプロジェクトから始まりました。弦楽重奏を含むビッグバンドとのコンサートをヘルシンキのコンサート用にアレンジを加えリハーサルなどをしていたのですがこの編成で得た体験はジャズの熱気よりももっとクール(*ジャズでいうところの"クール"よりも"穏やかな"といった語感)というなイメージが湧いてきたのです。そうしてその体験をボサノヴァ・プロジェクトに向けて動かしたらどうなるか?というアイディアが浮かんできたのです。

私が中心となる2管楽器+リズムセクション(ドラム、ベースおよびギター)を加え伝統的なボサノヴァを実践しつつも少しポップ•フィールドにタッチしながらアレンジをしました。フィンランドの伝説的アレンジャーであるルシ・ランペラ氏も共感してくれて共同作業も行いました。また私たちはブラジル音楽の要が歌であるということを理解していたのでマナーに沿った沢山の歌もののトラックを用意したり有意義な創作活動が出来たのです。それが非常に刺激的になり、さらには一歩進めてプロジェクトをレコーディングすることを思いついたのです。彼は直ちにプロデューサーとしてプロジェクトに参加して欲しいと考えドラマー/プロデューサーである元T.F.C.Q.のメンバー、テッポ・マキネンに連絡を取った所、彼も無類のボサノヴァ・ファンであることからスムーズにプロジェクトのスタートを切る事ができました。さらには以前から日本で親交の深い友人であるDJ須永辰緒氏と連絡を取り、アイディアを出し合いまずは日本でのリリースという形の構想も出来上がりました。

アルバム用に7曲の新しいオリジナルのジャズ・サンバを作曲アレンジ、さらには私たちが愛聴しているお馴染みの3曲のカバーを加え構成されています。「フロム・ザ・ホット・アフタヌーン」はミルトン・ナシメントによるクラシックス。私はポール・デスモンドのCTIからリリースされたアルバムのバージョンが好きで、フェイバリット・ソングの一曲でもあります。

さらに私はボーカリストを日本でのアルバム・バージョンに起用したい考えを持っていました。日本での録音は私と須永辰緒氏で行いました。結果的にそれは非常に素晴らしく、2人の異なるボーカリストはアルバム上で重要な役割を担っています。「ウィーン」はフィンランドのシンガーソング・ライターの曲です。オリジナルは勿論フィンランド語ですが、私はその歌唱、アレンジが非常に好きでずっとその新バージョンを作りたかった。この日本語で歌われるそれはパーフェクトでchihiRoの歌声は素晴らしく、成果は予想を上回る完成度になっています。もう1曲はA.Cジョビン作によるスタンダード「喧嘩にさようなら」こちらは日本盤のボーナス・トラックとして制作しました。ケイスィー・コスタの歌唱はワールドワイドの観点から見ても高い水準を誇っています。本当に素晴らしい才能です。




Q. パーソネルについて。

録音メンバーは主に北欧でトップのボサノヴァ/ジャズミュージシャン達で構成されています。Jaska Lukkarinen(d)はいま北欧で最も忙しいジャズ・ドラマーでしょう。またさらに、完璧なブラジル音楽を習得しているドラマーのひとりでもあります。Ville Herrala(b)も北欧で精力的に活動するコントラバス奏者です。彼は絶対音感の持ち主でメンバーの信頼も厚く高い技術を備えています。Peter Engberg(g)は、ジャズとボサノヴァ共に高い演奏技術でマスターする、おそらく欧州No.1のアコースティック・ギター・プレーヤーです。アコースティック・ギターの役割が非常なブラジル音楽を習得する為にブラジルに何度も渡り音楽院などで研鑽を積みました。私の幾つものユニットでのメンバーでもあり旧友のPetri Puolitaivalはアルト・サックス、バス・フルート、アルト・フルートおよびフルートをプレイします。フルートはブラジル音楽にとっても重要なセクションなので彼の参加も必然でした。

アルバムには弦楽四重奏としてプロトン・ストリングス・カルテットにも参加してもらいました。それらがこのアルバムユニークな個性とし、さらにはオーセンティックなボサノヴァをリ・ロードする作業のうえでストリングはこのアルバムサウンドにとって不可欠な要素でもあります。

そして重要なのはアルバムの共同プロデューサー、テッポ・マキネンの存在です。彼はフィンランド史上、不出世の偉大なドラマーであるだけでなく作曲やアレンジ、PCによるプログラミング技術他の非常に多くの才能を持ち数々のユニットでセールス面でも大ヒットを記録し、フィンランドで史上最も才能のある音楽家のうちの1人とも言われています。欧州を飛び出し、アメリカやアジアなどでもその活動は広く知られていることでしょう。テッポはこのアルバムではパーカッションおよびピアノ(!)を演奏しています。




Q. 日本のファンへのメッセージ

私は日本のファンは世界一だと思っています。それはT.F.C.Q.での幾度かの来日や自己ユニットでも来日で接した音楽ファンの関心の高さ、マナーなども含め音楽に対する情熱によるヴァイヴを感じているです。日本はジャズのパラダイスだ、と形容するジャズミュージシャンも少なくありません。そういった日本のリスナーが私の新プロジェクト「Jukka Eskola Orquesta Bossa」を幅広く聞いてくれることを期待しています。さらにはこのオーケストラで日本でのライブをお見せできたらいいなと思っています。See you soon!


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『Jukka Eskola Orquesta Bossa / Jukka Eskola Orquesta Bossa』

Jukka Eskola Orquesta Bossa


Jukka Eskola Orquesta Bossa

リリース:2013年5月15日
Zounds!
製品番号:ZS003

ザ・ファイブ・コーナーズ・クインテットのリーダー奏者ユッカ・エスコラ、テッポ・マキネン。日本からはDJ須永辰緒が共同プロデューサーとして名を連ねる、日本=フィンランドの友好の架け橋『Jukka Eskola Orquesta Bossa』が完成。世界に先駆けてまずは日本だけのリリースが決定。ほぼインストゥルメンタルでジャズとブラジル音楽へのオマージュを綴ったジャズサンバ集ながら、2曲だけ収録のボーカル・トラックには日本からchihiRo(ジルデコイ・アソシエーション)、何もかもが規格外の超新星ボサノバ・シンガー、ケイシー ・コスタが参加。ギター、パーカッションを加えたセクステット編成にヘルシンキの弦楽4重奏楽団も加わった10人編成。湖の国フィンランドから清冽で凛とした壮大なスケールの・ボサノヴァアルバムが登場した


【Jukka Eskola(ユッカ・エスコラ)】

ジャズトランペット奏者/アレンジャー/プロデューサー。
1978年生まれ。フィンランドを飛び出しコンテンポラリージャズ・シーンで最も成功したプロジェクト、ザ・ファイブ・コーナーズ・クインテットのリーダー。その成功を経てソロ活動や数々のプロジェクトなどにより欧州を代表するトランぺット奏者の一人としてシーンを牽引し続けている。フィンランドのヘルシンキに所在する名門シベリウス音楽院でジャズを専攻し以降キャリアは15年に及ぶ。ザ・ファイブ・コーナーズ・クインテット、リッキーティック・ビッグバンド、ジミ・テナー・バンド、ジョー・スタンス、ニュー・スピリット・オブ・ヘルシンキなどでもアンサンブルの中心として活躍。2007年に北欧の権威あるジャズ・アワード、ポリ・ジャズ・フェスティバルでは「ベスト•アーティスト・オブ•イヤー」に選出される。2010年のリリース「ランペラ=エスコラ」では9重奏楽団の共同リーダーとして作品を発表し大いに注目が集まり世界中のジャズ・ファンからの注目を浴びた。自身及びバンドメンバーとしての作品に加えて、スタジオ・ミュージシャンとしてほぼ200枚以上のアルバムにも参加。さらには多くの国際的なフェスティヴァルにも数多く招かれ、マリア・シュナイダー、ジミー・スミス、デービッド・リーブマン、トニー・アレン、パティ・オースティン、ピーター・アースキンなど、と共演。さらに現在はフィンランドを代表するジャズイベントのオウル・ジャズ・フェスティバル用の芸術監督として辣腕を奮っている。


[Jazz Today] 寺尾紗穂 ロングインタビュー(聞き手:ジョー長岡):インタビュー / INTERVIEW

女性シンガーソングライターの寺尾紗穂のインタビューをお届けする。
聞き手は、JJazz.Net番組ナビゲーターでシンガーソングライターのジョー長岡。

事のきっかけは、ジョーさんがシンガーソングライターとして尊敬している寺尾さんのワンマンライブを企画したことだった。
寺尾さんのソロ弾き語りを収録し、番組で紹介したいと思っていた僕にとってもまたとない機会だった。

寺尾さんとジョーさんの間には、不思議な繋がりがある。
ライブの開催日、「12月16日」をめぐる繋がりだ。
詳しくは、以下のリンクをたどって欲しい。

http://d.hatena.ne.jp/onbinpa/20121130/1354288320

紆余曲折ありながらも、事は実現する。
ライブの模様は、2013年1月9日から約1ヶ月間掲載の番組「Jazz Today」で聴ける。
幸いにも「骨壷」も紹介することができた。

色々なタイミングが咬み合って実現した公演と、番組とインタビュー。
寺尾紗穂の音楽のバックグラウンドも感じてください。


[Text:樋口亨]



寺尾紗穂 ロングインタビュー(聞き手:ジョー長岡)


寺尾紗穂1 © Fuminari Yoshitsugu


~はじめに~

[ジョー長岡(以下J)] ソノリウムでのライブは2回目になるんですね。

[寺尾紗穂(以下S)] そうです。

[J] どういう場所ですか。「拍手が大きく聞こえる」という話をライブ中にされていました。

[S] そうですね。すごく気持ちよく演奏できる場所です。

[J] リハーサルでPAがまだ入ってない時、ピアノの響きが凄かった。天井から音の粒が降ってくるような。

[S] 人が入ってないと特に。

[J] 寺尾さんのライブ前の表情を初めて見たのですが、全く緊張しないというようなお話をしていましたね。ライブにはどういう気持ちで臨んでいますか。心がけていることなどあれば。

[S] 歌詞が飛んでしまうことがあるんで、歌詞のことを考えています。頭の中で再現している。

[J] ピアノの譜面立てに置いてるノートは?

[S] あれはね、この曲はちょっと見ないと駄目だなっていうのがあれば置いておくのと、あとは曲順なんです。曲順と、ここでどんなこと話そうかっていうメモ。曲順書いとかないと、次は...といって1分くらい止まっちゃったりする。

[J] そうか。じゃあ基本は、歌詞は見ていないんですね。

[S] 見ていないです。

[J] 僕はてっきり、寺尾さんは歌詞を見ながら歌う人なんだなと、ずっと思っていました。

[S] みんなそう思っていると思います。

[J] 歌詞がどうしても出てこない時は、どうしていますか。

[S] 出てこない時、あんまり止まっちゃう時は最初からやり直したりとか。子供を産んでから練習量がどうしても減ってしまって、それをイメージトレーニングで補っています。そのやり方がよくわかんなかった頃、練習量が減って不安だけが増していった頃が、ミスが多かったですね。

[J] イメージトレーニングっていうのはどんな風に。

[S] 自転車に乗りながら、とか。

[J] 曲順はいつ決めますか。

[S] だいたい当日かな。早いときは前日。

[J] 曲順を決める上で、大事にしていることはありますか。

[S] 会場に入ってみて感じることとか、そこに来るまでにあった出来事とか、そういうことで決めることがありますね。共演者の方のお話にちなんで、自分の準備していた曲を変えることもあります。

[J] 弾き語りだと、それが可能ですよね。

[S] そうですね、一人だと。



寺尾紗穂2 © Fuminari Yoshitsugu


~子供の頃~

[J] 今回のライブでは、寺尾さんの歌や音楽のルーツの話がいくつか聞けました。それにまつわる曲の披露もあって、とてもラジオ的な時間だったと思います。更に深くお聞きしたい。寺尾さん、子供の時はどんな感じでしたか。自己分析すると。

[S] そうですね、なんだろう、周りとはズレていた気がします。幼稚園の頃かな、ジェニーちゃん人形で遊ぶことが流行ってましたけど、私は興味なくって、木登りとかのほうが、よかったです。

[J] 木登り(笑)。男の子と遊ぶ方が多い感じかな。

[S] 小学校に入るとそうでしたね、サッカーとか。でも、ドッチボールは嫌いでした。ドッチボールが流行ってた頃は、ひとり教室に残って金魚を眺めたりしていました。

[J] ドッチボール、どうして嫌いだったんですか。

[S] なんでだろう... あの、追いつめられる感じ、嫌いだった。当たると痛いし(笑)。屋上で相撲するのが流行ってた時期があって、その相撲には参加してた。

[J] 相撲ですか...(笑) そういう女の子いたなぁ。

[S] あと、理科の解剖がすごく嫌で。フナだったと思うんですけど。殺すのはいいけど、その後、それを捨てるというのがどうしても納得がいかなくて。例えば家庭科で魚料理に生かすとかしてくれればよかったのに。

[J] 給食で出す、とかね。

[S] そう。殺して捨ててしまうということが、絶対受け入れられなくて、「私はやりません」と泣いて、教室に残ってました。

[J] いつの話ですか。

[S] 小学校5年生の時かな。

[J] 他にも、許せなかったことありますか。

[S] 許せなかったこと...衝撃的だったことは、小学校4年生だったかな、母親から聞いたんですが、関東大震災の時に朝鮮人が沢山殺されたという話を聞いた。なんでそんな理不尽な、訳のわからないことが過去に起きているんだろう、とショックでした。休み時間に当時一番仲の良い友達呼び出して、こんなことが起きてるんだよと、言ったりして。それはそれで終わるんですけど、その時に抱いた違和感、何故そんなことが起きてるんだろうと、それは後になって、戦争のこととかと繋がっていくんですけど。その時が、歴史に対する興味というかその核になる部分、その種が撒かれた時だったかな。

[J] その頃の許せなかったことって、その人の他者や世界に対する認識と深く繋がっていると思う。嫌なものは嫌っていう、もう理屈ではない感覚ですよね。

[S] うん。あと、幼稚園の頃からの友達で、小学校も一緒だった子で朝鮮人の子がいたんですね。その子は結構我儘な感じの子で周りから好かれていなかったんですが、小学生になって名前のことで、クラスでからかわれていました。私すっかり忘れていたんですけど、当時許せなくて、先生に告げ口したらしいんですよ。名前のことでからかわれてるって。そういう、おかしいでしょってことに小さい頃から敏感だった気がします。後々になって、高校生の時かな、その子から急に、私と話がしたいと電話がかかってきた。小学校の途中で転校して以来会ってなかったんですけど、中学に入って名前を変えた話などを打ち明けてくれました。

[J] ピアノはいつから始めましたか。

[S] 幼稚園の時にヤマハの音楽教室に通い始めて、教室ではピアノも習ったけど、歌中心だったかな。その後、個人の先生に移りました。その先生がとてもやさしくて、それがピアノを長く続けられた理由かなと。最初厳しいと、嫌になっちゃうから。

[J] よく聞く話なんですど、個人の先生との相性ひとつで、ピアノが嫌いになったり、音楽そのものから離れてしまう人というのがいます。馬鹿みたいな話。

[S] 本当にもったいない。うちにも、好き嫌いがはっきりしている長女がいて、よさそうな先生がいるから、少し前にピアノを習わせに行ったんですけど、あの先生嫌だと言って、今は行ってないです。

[J] 僕も寺尾さんと同じ道程を辿ってて、幼稚園の時ヤマハ、その後個人のピアノの先生に付きましたけど、本当に先生に恵まれたと思っているんです。今自分が音楽を続けていることにとても大きく関係している。

[S] そうですよね。ジョーさんは全体的に、先生に恵まれましたか。

[J] 僕ですか。僕は、いいのと悪いのとありましたね(笑)。さっきの許せない話だと、小学校4年生の時の担任とは、クラスのある制度を巡って対立しました。僕は絶対におかしいと思ったので、それを先生に言ったら、逆に目を付けられた。転校してすぐのことで、校内で完全に孤立したことがあります。けど5年生になると、野生児みたいな若い男の先生が担任になって、学校行くのが俄然面白くなった。波がありましたね。

[S] 私も思い出した(笑)! 家庭科の先生でね、調理実習でサンドイッチとか作ると、ある生徒に向かって、あなたは太ってるからちょっとでいいわね、みたいな物言いをする先生がいた。その発言はおかしいでしょと、そう思った子何人かと当時の担任の先生に告げ口して、謝ってもらいました。担任の先生が間に入って、頑張ってくれた。

[J] よかったですね。僕はその小4の担任とは、結局和解しなかった。

[S] 担任の先生、重要ですよね。面白いです、先生の話(笑)。小学校の音楽の先生がとてもよくて、教科書をほとんど使わない、先生がいいと思った合唱曲を、授業でたくさん使う先生だった。合唱が好きだった私に、「杉並ぞうれっしゃ合唱団」を勧めてくれたりしました。当時歌うのが好きだった4、5人が、それに参加して公会堂で歌ったりしてました。歌うことは本当に好きだった。

[J] 話がさらに遡りますけど、幼い頃のテープが残っていると、聞きました(笑)。

[S] それは母が録音していたんですけど、3歳くらいの頃、勝手に歌を作って歌ってるんです。

[J] ひとりで?

[S] そう、ひとりで。

[J] それ保存しといてくださいね。いつか聞いてみたい。

[S] どこいったかな...(笑)

[J] ライブでは、合唱から独唱にいたるきっかけになる曲を披露しました。「Caro Mio Ben」。とても好評でした。

[S] ありがとうございます。

[J] クラッシックや合唱の世界から、ポピュラーミュージックへの道程をお聞きしたいです。お父様がSugar Babeの元ベーシスト、寺尾次郎さん。お父様の影響は何かありましたか。

[S] どうなんだろうな...。私、小学生の頃からドリカムが好きで、ワンダーランドにも何度か行ってるんですよ。そういうものも並行して聞いていたわけです、すごく狭い世界でしたけど。中学に入ってからはミュージカル部に入って、自分で作曲もしていたんで、うーん...。

[J] お父様が、SugarBabeの二代目のベーシストだと知るのは、いつでしたか。

[S] 楽器をやってたんだよって話を聞いたのは 5、6歳だったかな。家に次郎人形という、ファンの人が作った人形があったんですよ、ベースを肩から提げてる(笑)。それで、父が楽器を弾く人だということは、幼い時から知っていました。だけど実際、楽器は見たことないし、父とは小学校に入る頃には別居していました。父との一番最初の思い出は、字幕で使うタイプライターを触らせてもらったことかな(寺尾次郎さんは、フランス映画の字幕翻訳家でもある)。

[J] 所謂タイプライターですね、ワープロの前の。

[S] そうです。ただ家には、父が参加したサンプル盤がありました。竹内まりやさんとか、大貫妙子さんの作品。きっちりと揃っていたわけではなく、ぽつぽつとあって、そういうのは聞いていました、中学の頃です。竹内さんのはよく聞いてましたね、不倫の曲が多かった。

[J] 寺尾さんは、弾き語りのピアニストとして、とても個性的なピアノを弾く人だと、僕は思ってるんです。そのスタイルは独自に作っていったものですか。

[S] ジャズの要素が入ってるのは、大学に入ってジャズ研にトライしたことが関係していると思う。結局挫折したんですが。ただ、それだけかっていうとそうでもなくて。中学の時にミュージカルでの作曲をやってた時から、ジャズっぽい曲っていうのがあった。その時は、「ジャズ」という意識はないんですけど、見に来ていただいた先輩から「寺尾さんってジャズのコード鳴ってるけど、勉強してるの?」って聞かれて初めて、あっこれそうなんだって。つまり耳から入ってる映画音楽などが、自然に曲の中に出てきてる感じだと思うんです。だから、ちゃんと勉強してないんです(笑)。

[J] 挫折って...どんな風に挫折したんですか。

[S] ジャズ研ってなると、ひとりで完結することがあまりなくて、基本的に皆でセッションなんです。セッションになると、ピアニストは左手をほとんど抜かなきゃならない。それが全然できなくて。つまり、ピアノを弾くとなると、左手がベースの役割をするってのが、私の中で固定化されてました。そこのビートを自分で感じないと、弾けなかったんです、ピアノが。どうしても、ベースと重なるところを弾いてしまう。

[J] クラッシック出身の人の癖かもしれない。

[S] うん。

[J] でも弾き語りで演奏する上では、大事な部分かと。

[S] そこがないと成立しない。

[J] 寺尾さんの弾くベースラインが、とても個性的だなと思っていました、なるほど。

[S] セッションはしたいんだけど、できない... それで、ジャズは無理だなぁ、と。



寺尾紗穂3 © Fuminari Yoshitsugu


~ソングライティング~

[J] ライブ中のいろんなお話の中で僕にとって一番衝撃だったのが、一年間普通に生活していると、10曲くらいは自然に曲ができると言ってたことです(笑)。

[S] (笑)

[J] 曲作りについて聞きたいんですが、どんな風に作曲してますか。

[S] 降りてきたものを、キャッチして、まとめる。それだけです。ずっとやり方は変わってません。

[J] どんな時に降りてきますか。

[S] バラバラですけど、自転車に乗ってる時、お風呂に入ってる時、子供たちと遊んでいる時とか。あ、きたきた、みたいな。

[J] 音楽に向き合っていない時、ですよね。

[S] 詩が先にある時は、ピアノの前に座って、待つ感じになりますけど。それ以外はピアの前ではないですね。

[J] 降りてくると、どうします?

[S] とりあえずコードを書き取って、詩を書いて。忘れそうな時は、メロディの音譜を書いて。録音できそうな時はICレコーダーで。

[J] ライブでは、去年できた未発表の曲を何曲か聞けました。どれも素晴らしかった。

[S] ありがとうございます。ジョーさんは、どれが一番好きですか。

[J] 「愛よ届け」かな。歌詞が好きです。曲の一部が降りてきて、すぐにまとまりますか。

[S] 割とすぐですね。時間がかかるものは、それ以上進まないことが多い。

[J] 寺尾さんが、ソングライターとして大事にしていること、もし言葉にできるなら教えてほしい。

[S] 私の中からはどうしても、軽いものってのが出てこない。どうしても、どこか重苦しいもの、深いもの、鋭いもの、そこの世界に触れた時に、自分の創造の原動力が動き始める。だから軽い詩、楽しい詩をもらって、作れって言われれば、作れるのかもしれないけど、自分の中から自然に出てくるものとしては、軽やかなものは出てこない。

[J] 本当は、軽やかなものも作りたいという欲が、逆に寺尾さんの中にあるのかな。

[S] アルバムのバランスっていうのを、いつも気にはしているんです。最近、津守美世ちゃんが詩を書かなくなってしまったので(津守さんは彫刻家でもある。)、これからは誰か他の人の詩で、バランスを取っていくのかもしれない。

[J] 抽象的な質問かもしれませんが、あえて。寺尾さんにとって、いい曲、いい歌ってどういうものですか。

[S] ベースとメロディだけで、充分に成立するもの。それがいい曲だと思います。

[J] 去年の青山でのライブで、共演した「ふちがみとふなと」さんのことを、寺尾さんが紹介していた言葉ですね。

[S] そう。あれがすべてだと思う。つまり、それで成立するっていうのは、曲の足腰が強いってこと。

[J] 寺尾さんのピアノの、ベースの印象が強いこととも繋がる。

[S] うん。それに加えることとして、コード感はやっぱり大事かな。どれだけ綺麗な衣装を着せてあげられるか。

[J] 歌詞に関しては、どうですか。

[S] そうですね。人が共感できる歌詞というのが、一般的にはいい歌詞なのかなとは思うんです。でも。共感できなくても、そこに現れているものに大きく揺さぶられる、揺さぶることができたら、別の意味でいい歌詞と言えるのかもしれない。そこに表出してくる強さとか、怖さも含めて。

[J] 共感できるまでに、時間がかかるものってありますよ。

[S] 受け入れるまでに、ね。



寺尾紗穂4 © Fuminari Yoshitsugu


~青い夜のさよなら~

[J] 昨年 6月に「青い夜のさよなら」をリリースされました。寺尾さんにとって、いろんな意味で挑戦的な作品だったと思うのですが、リリースから半年経って、どんな反響があって、今どんなことを思っていますか。

[S] この時期なんで、Twitterなどで 2012年のベストアルバムに挙げてくださる人がいます。これまでの作品と比べて、より広く届いたんじゃないかと思います。思ってた以上にコラボが作品を面白くしてくれた感じがあります。反響という意味では、前は掲示板に長い感想を書いてくれる人がいたんですが、今は皆Twitterじゃないですか。文章が短くなってそれは寂しいかな(笑)。HPのリニューアルを予定してるんですが、掲示板は残そうかなと思ってるんです、時代遅れなのかなと思いつつ。

[J] 僕の勝手な印象ですが、「青い夜のさよなら」は、最初エキセントリックな感触がありました。半年聞いてると、これはこういう作品として、しっくり僕の中で落ち着いてます。それと、今回のライブではっきりしたんだけど、寺尾さんにとっての「弾き語り」が、あのアルバムの存在で、一段と際立った気がする。

[S] うん。

[J] ライブで、アルバムの曲「追想」「ロバと少年」「富士山」「時よ止まれ」をやりました。弾き語りで聞くと、やっぱり印象が全然違う。寺尾さん独特のタイム感、グルーヴ、淡い色合いなどが、はっきりと出てくる。リスナーとしては、そこはすごく面白いところです。

[S] なるほど、そうですね。ジョーさんが、今回はピアノオンリーで、と言わなかったら前回同様、後半はドラムを入れようかと思ってたんですよ。だからいい機会をもらったな、と。


『青い夜のさよなら』寺尾紗穂
青い夜のさよなら

■タイトル:『青い夜のさよなら』
■アーティスト:寺尾紗穂
■発売日:2012年6月6日
■レーベル:ミディ
■価格:3,150円(税込)


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寺尾紗穂5 © Fuminari Yoshitsugu


~さいごに~

[J] いつも 5~6年先のことを考えていると、ライブの中で語っていました。5~6年前を振り返って、自分が思ってたような自分になっていますか。

[S] うん、そうですね。

[J] 今から 5~6年先のことは、どんな風に思っていますか。

[S] 多分いい感じになってるんじゃないですかね(笑)。ここ 1~2年、人との出会いに本当に恵まれていて。長くタッグを組めそうな人と出会えてる。人脈ってどんどん増えるだけじゃないですか。そういうものを大切にしていくと、幸せに歌い続けていけるんじゃないかなと思います。

[J] 今回の番組を聞いてくれている方々にメッセージを。

[S] ジャズを聴いてる方にとって、私はどうなんだろう...ジャズ挫折者だし(笑)。

[J] JJazz.Net は、どんどんその枠を広げて、ジャズだけにこだわってないですし。僕は寺尾さんの歌詞を是非味わって聞いてほしいな。

[S] うん。それと、ライブになかなかな来れない、地方の方に聞いてほしい。

[J] 2013年はどんな年にしたいですか。

[S] 以前からやってはいましたが、ようやく去年あたりから、地方からライブの依頼が多数来るようになってきたので、いろんな所に行きたいです。2月は仙台に行きます。そういう意味で届き始めたのかな、と。

[J] ご活躍を心から願っています。今日はありがとうございました。

[S] ありがとうございました。

(2012年12月28日 下高井戸ポエムにて)




寺尾紗穂
寺尾紗穂
11月7日生れ 酉年 東京出身
大学時代に結成したバンドThousands Birdies' Legsでボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。
2007年ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム「御身」が各方面で話題 になり,坂本龍一や大貫妙子らからも賛辞が寄せられる。
大林信彦監督作品「転校生 さよならあなた」の主題歌を担当した他、 CM、エッセイの分野でも活躍中。


ジョー長岡
ジョー長岡
演劇や舞踏の活動を経て、2000年より独自の歌世界を構築。シンガーソングライター。世界中の音楽と日本語の心地よい融合、力強く可愛らしい音楽をめざす。JJazz.Netでは「温故知新」「Jazz Today」でナビゲーターを務める。

Ryoma Takemasa selection - "After Hours Music ~ landing in autumn morning":インタビュー / INTERVIEW

JJazz.Netの番組「WHISKY MODE」のナビゲーター、DJ KAWASAKIさんをはじめ多くのDJやダンサーから尊敬され人気を集めているDJ、Theo Parrish(セオ・パリッシュ。そういえば11月に来日ツアーがありますね!)。
アイソレーター(低音/中音/高音をブーストしたりカットしたりする機材)を駆使したソウルフルでグルーヴたっぷりなプレイに、僕も何度となく朝までヘロヘロにされました。

そんなDJ's DJとも言える彼が認めた日本人プロデューサー / DJが、Ryoma Takemasaです。

Ryoma Takemasaは、10年間のアメリカ生活の影響のもとに、ヒップホップDJとしてキャリアをスタートさせています。(余談ですが、「夜ジャズ.Net」の須永辰緒さんもヒップホップをメインに回されていた時期もありましたね)
その後徐々に、テクノやハウスへと移行し、国内外のレーベルから作品を発表して、世界中のトップDJ(ローラン・ガル二エやジェームス・ホルデン、オスンラデなど)から評価を集めています。

10月17日に満を持して発表したデビューアルバム『Catalyst』では、タイトル曲で、前述のセオ・パリッシュの代表曲「You Forgot」を大胆に使用し、ソウルフルに仕上げています。
デモバージョンを気に入ったセオが自曲の使用を許可したというのは、ある種、事件ですね!

そんな今話題熱々のRyoma Takemasaに、「クラブ遊び明けの朝、秋の高い空のもとで聴きたい曲」を選んでいただきました。
彼のコメント付きです!

まさにタイトル通り、クラブ遊び後の着地や、週末の朝に聴いたら気持ちの良いセレクション!!

[Text:樋口亨]


After Hours Music ~ landing in autumn morning - クラブ遊び明けの朝、秋の高い空のもとで聴きたい曲


Radiohead 「Bullet Proof I Wish I Was」

この曲は毎年秋になると好んで聴く曲で、トム・ヨークの声がものすごくあったかく、頭の中に情景が浮かびあがります。「I Come With The Rain」という映画で挿入歌としても使われていて、色気があっていいですね。少し肌寒い朝、太陽があがりそうなピンク色の空の下でこの曲を聴ければ僕は幸せものです。そこで眠い目をこすりながらも微糖のコーヒーを飲んで、友達と音楽の話をするというのが理想ですね。


O.C. 「Born 2 Live」

もちろんO.Cのライミングも良いんですけど、このトラックはとにかくドラムがかっこいい。この時期のヒップホップはインストでも十分かっこいいですよね。PVで鳥が空をすごく気持ち良さそうに飛んでいるんですけど、あの空は絶対に秋だと僕は勝手に思ってます。クラブ帰りにこのトラックが聞こえてきたら、とりあえず家には帰れませんね。O.C最高です。


Black Sheep「Without A Doubt」

このトラックは正直何回聴いたか分かりません。キャッチーなフックが大好きなんです。あとスネア。このスネアのリバーブ感は秋の高い空にピッタリです。ただ気持ちの良いトラックなのでこれを聴いたらすぐに寝ちゃいますね。ヒップホップDJしている時によく使っていて、レコードでも2枚持ってました。2枚使いはできませんでしたが。


Sigur Ros「Nothing Song」

クラブ遊びが終わって気持ちの良い朝、秋らしい高い空の下で自分がどの曲を聴くか選べるとしたら、結局はこの曲です。トム・クルーズ主演の映画「Vanilla Sky」でも使われている曲なんですが、流れているシチュエーションが最高で、あのような所で聴けるなら僕もビルから飛び降りちゃいます(笑)この曲が流れるだけで周りが澄んだ空気になるでしょう。透明感があって落ち着けるとても素晴らしい曲です。


Ryoma Takemasa「Catalyst (Autumn Evening Mix)」

恐縮ながら、これだけのラインナップの中で最後に選ばせて頂いたのは、10月17日にリリースした僕のアルバム『Catalyst』の表題曲です。一応ミックス名は日本語直訳で秋の夕方ミックスになっていますが、クラブ明けの朝でも十分いけます。最初のブレイクがあけて青いパッドが入ってくるところは、踊り疲れたあなたの体を癒してくれるでしょう。そして一緒に「ユ~フォガット♪」と口ずさみましょう(笑)さらに楽しくなるはずです。



『Catalyst』Ryoma Takemasa
Catalyst

■タイトル:『Catalyst』
■アーティスト:Ryoma Takemasa
■発売日:2012年10月17日
■レーベル:UNKNOWN season
■カタログ番号:USCD-1001
■価格:2,100円(税込)

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Ryoma Takemasa
Ryoma Takemasa

10年間アメリカで生活した後、2004年に日本に帰国。A Tribe Called Quest、O.C.、Nas、Jeru The Damaja、Black Moonなどに影響を受け、ヒップホップDJとしてキャリアをスタートする。DJを続けていく中で徐々にテクノやハウスにシフトし始め、2007年にPaul MacのレーベルStimulus RecordsからデビューEP「Koroon」をリリース。2008年末には自身のレーベルApostropheから「The Overhousen Manifesto」をアナログカットし、国内外のDJによってプレイされる。2009年には西麻布のサウンドバー+にてKihira Naokiと共に「KAFKA」でレジデントを務める。2011年に国内注目レーベル「UNKNOWN season」から積極的にリリースし始め、その中でもDeepn`(Gonno Remix)と(The Backwoods Remix)はLaurent Garnier、James Holdenなど有名DJがプレイし国内外で好評を得ている。2011年の年末にリリースされたオリジナル楽曲のDual House Groove 6はWhatpeopleplay総合Chartで6位を獲得した。
http://soundcloud.com/ryoma-takemasa

坪口昌恭(東京ザヴィヌルバッハ) インタビュー:インタビュー / INTERVIEW

東京ザヴィヌルバッハの新作が届いた。
『AFRODITA』と名付けられたその作品は、主宰の坪口昌恭が一人で作り上げたという。
そして、今回のメイン楽器として取り上げられたのは、シンセサイザーではなくエレクトリック・ピアノだ。

2年前に発表したアルバム『Abyssinian』が、ソロ・アコースティック・ピアノ作品なので、『AFRODITA』はある意味、その延長線上に存在すると考えていいのだろう。

とは言え、坪口昌恭ではなく東京ザヴィヌルバッハ名義なので、サウンドの違いは大きい。
東京ザヴィヌルバッハの代名詞、自動変奏シーケンスソフト「M」が繰り出すアフロポリリズムとエレクトロニック・サウンドが満載だ。

アフリカ的なリズムのホットさとエレクトリック・ピアノのクールさが融合して、東京というアーバン・イメージを思い起こさせる不思議な一枚。
さらには、表現が悪いかもしれないが、デパートやエレベーターで流れていても違和感がないほど聴きざわりが爽やかなのだ。
ここに坪口昌恭のちょっとした悪意というか、シニカルなユーモアも感じたのは僕だけではないだろう。


坪口昌恭(東京ザヴィヌルバッハ) インタビュー

■今回発表した『AFRODITA』は坪口さんのソロですね。前作『Sweet Metallic』はバンドでの作品でした。また、今作ではローズ(エレクトリック・ピアノ)をメインに演奏していますが、少し前に出たソロアルバム『Abyssinian』ではアコースティック・ピアノをメインに演奏していました。これら、相反するイメージが連なった経緯を教えて下さい。

[坪口昌恭] これまでを遡ってみると、自宅で作りこんだタイプの作品の次はスタジオでの作品、バンドの次はソロ、という風に交互になっていますね。だから、大雑把に言うと「反動」というものはあると思うんですよ。あとは、『Abyssinian』で共演者がいない状態、ただ一人でピアノに取り組んだのですが、東京ザヴィヌルバッハも一人でやってみるとどうなのかなと、同時期に思ったんですよ。それで、実際にライブをやってみたら感触がすごく良くて。レーベル担当者もすごく気に入ってくれたので『AFRODITA』が実現しました。


■シンセではなくローズ(エレクトリック・ピアノ)がメインになったのは?

[坪口昌恭] 『Abyssinian』でピアノに向き合った結果、正しく良い姿勢で集中して演奏するパワーがいいなと思いました。シンセだとこっちも弾いてあっちも弾いてという風に、パワーが拡散してしまいます。それと、ローズをメインにして、シンセなどオケ(バックの演奏)をコンピュータに仕込んでおくと、ライブツアーがやりやすいということもありますね。現地でローズだけを用意すればいいですから。

Rhodes(ローズ)@坪口スタジオ
ローズ


自動変奏シーケンスソフト「M」
自動変奏シーケンスソフト「M」


■東京ザヴィヌルバッハの形態が、バンドだったりソロだったりと色々と変わっているということもあって、今一度「東京ザヴィヌルバッハ」というプロジェクト名について振り返ってみたいと思います。「東京」+「ザヴィヌル」+「バッハ」=「東京ザヴィヌルバッハ」でいいですか?

[坪口昌恭] そのとおりです。このプロジェクトの立ち上げの時に、菊地(成孔)さんもDCPRGの立ち上げの時で、一緒にミーティングすることが多くて、バンド名をどうするかということも話していたんです。僕は坪口だから、「tzboguchi」ってちょっとふざけて表記しているんですけど、そこから「TZ-1」のような記号みたいな名前がいいんじゃないかと菊地さんからのアイデアがあったんですよ。僕はもうちょっと色彩的な名前が欲しくて「tzboguchi」の宛字を考えていたら、「t」は「東京」、「z」は「ザヴィヌル」だよねって大笑いになって。要するに当て字で考えていったんです。「東京」は「東京で発信している」という意味がもちろんあります。「ザヴィヌル」は「ジョー・ザヴィヌル」です。その頃は、エレクトリック・マイルス再評価をやりたいよねというムードだったので、エレクトリック・マイルスの影の立役者はジョー・ザヴィヌルでしょ、みんな忘れてるけど彼がいたから「ビッチェズ・ブリュー」もできたんだという話になって。彼もキーボーディストだしね。「バッハ」は、ヨハン・セバスチャン・バッハではなくて、「スイッチト・オン・バッハ(Switched-On Bach)」というバッハをムーグ(シンセ)で演奏したアルバムの語呂だったりその音楽から来ています。「東京/ザヴィヌル/バッハ」、「スイッチト/オン/バッハ」ね。伝統と電子というイメージもね。

Switched-On Bach(スイッチト・オン・バッハ)
Switched-On Bach


■あー!そういうことだったんですか!「バッハ」だけ音楽からはわからないなと思っていました。

[坪口昌恭] たしかにそうだね。


■坪口さんにとって、ジョー・ザヴィヌルというのはどういう存在ですか?

[坪口昌恭] エレクトリック・ピアノに関して影響を受けたのは、ハービー・ハンコックのほうが強いんですよ。ザヴィヌルに関しては、シンセの方ですね。多くのキーボーディストがシンセというと、ピアノの代わり、ストリングスの代わり、ブラスの代わりとか、何かの代わりという風にイメージがあるものとして演奏するんですけど、ジョー・ザヴィヌルはシンセの良さを使って演奏しているんですね。シンセの出音をうまく使って演奏している。鍵盤から指を離すとすぐに音が消えたりだとか、そういった問題とも言える部分、表現力が乏しい部分をうまく使って演奏しているんですよ。そういうところにすごく共感しますね。「スイッチト・オン・バッハ」の音楽のイメージもすごく似ているんですよ。バッハってチェンバロとかオルガンとかしかない頃の音楽ですよね。ピアノがなくて音の強弱がない頃の音楽。強弱とかそういう表現を付けずに演奏して感動させる音楽。余計なExpressionがなくて感動させる音楽に共感しちゃいますね。


■他に共感できるものはありますか?

[坪口昌恭] 音楽で言うと、ビバップもそのひとつかもしれないですね。ビバップも感情表現ではなくて、定めたルールの中でいかに自由自在に演奏できるかっていう、違った意味でのゲームミュージック的なところというか、ロゴスっぽい、言語っぽいところがありますよね。


■音楽以外にも何かあるんですか?

[坪口昌恭] 影響という意味では絵画もありますね。東京ザヴィヌルバッハの前作『Sweet Metallic』のライナーノーツにも書いたんですけど、ウェザー・リポートの音楽性とセザンヌの絵には共通点があるんですよ。ウェザー・リポートには誰もソロをしていないけど全員がソロをしているというコンセプトがあった。誰かがソロをしていて他がバックということではなくて、シンセがソロを弾いているんだけども同時に(ウェイン)ショーターが印象的なリフを吹いていて、ドラムが大暴れしているとか。皆んなが「同列」に演奏しているんですね。で、セザンヌは何をしたかって言うと、例えば前にリンゴ、後ろに布とかが置いてある絵では、リンゴも布も同列に描かれているんですよ。リンゴを目立たせるために布を目立たせないということではないんですよ。どっちも目立っていたり、ラフだったり。それで、バランスを取るためにリンゴが置いてある机が歪んでたりとか。ウェザー・リポートと同じなんですよ。僕の解釈ですけどね。『AFRODITA』もローズが主役だけども、ドラムやベースもこだわって作っているわけですよ。同列にあるんですよ。


■最近、音楽で気になるものはありますか?

[坪口昌恭] やっぱりフライング・ロータスはすごいなと思いますね。サウンドはもちろんですけど、音符にしてみても裏コードに行っていたり、おいしい音を使っているんですよ。何というかな、ジョン・コルトレーンの甥っていうのもあるのかもしれないけど、天性のものがあるんでしょうね。考えて作っているんじゃないと思うんだけど、おいしい所に閃いちゃっているんですよね。レディオヘッドやビョークもそうですけど、微妙にタブーを犯しているんだけど、それがセンスがいいというかね。多少ぶつかりがあるもので、全体的にはポップに聞こえるものが好きですね。


■アルバムタイトルの『AFRODITA』はどこから来たんですか?

[坪口昌恭] 見るからにあると言えるし、潜在的にあるとも言える、アフリカの土着音楽の要素をタイトルに入れられないかなと考えていました。そんな時にギリシャ語で美の女神を意味する「aphrodita」って言葉に出会って、これはアフロって読めるねということで造語にしようと。

『AFRODITA』トラックリスト
『AFRODITA』トラックリスト


[レーベル担当者A氏] ちなみにですね、最初に候補としてあったのが『エレクトリック・マサイ』だったんですよ。

[一同] 爆笑

[坪口昌恭] 俺は「昌恭(まさやす)」なんでね。

[一同] 爆笑

[レーベル担当者A氏] 即却下ですよ(笑)

[坪口昌恭] マサが一人でやってるみたいな。マサ・ワンみたいな。

[レーベル担当者A氏] ああっ!!『エレクトリック・マサイチ』だった!

[一同] 爆笑


■ふざけ過ぎてる(爆笑)

[坪口昌恭] いや、マジメだったんだけどなぁ(笑)

[レーベル担当者A氏] ずっとそれを押してるんですよ。

[坪口昌恭] もうこれしかないって(笑)

[レーベル担当者A氏] 即却下(笑)あんまりだ。

[坪口昌恭] それを言ったら、東京ザヴィヌルバッハの名前を決める時、最初に菊地さんに提案したのが「ウニウニイヌイヌ」だったんだよ。

[一同] 爆笑

[坪口昌恭] 「ウニウニ」って録音して逆回転再生すると「イヌイヌ」って聞こえるんですよ。「uniuni」、「inuinu」ね。これが面白くて、バンドのコンセプトを表してるよって言ったら、「ぜっったいダメだ!」って。


■菊地さんに言われて(笑)

[一同] 爆笑


■東京ザヴィヌルバッハの音楽を表すキーワードの一つと言える「ポリリズム」ですが、わかりやすく説明していただけますか?

[坪口昌恭] ポリリズムは、「ポリ=複数」のリズム、ビートですね。ポリリズムは、プログレッシブ・ロックやショパン、ドビュッシーの音楽などにも存在するように、色々と種類があるんですが、僕がメインに置いているのは、アフリカのポリリズムなんですよ。グルーヴ・ミュージックとしての(1)だまし絵的なポリリズムに興味があるんですね。1拍の長さが一定で、4拍子→5拍子→7拍子→2拍子などという様に進んでいく変拍子タイプではないんですよ。アフリカタイプのポリリズムは、基本的には4拍子というか2拍子になっていて、その中身が5になっていたりというか。一番象徴的なのは、「キリマンジャロ」という言葉。日本語での発音がリズムになるとしたら「キリマンジャロ」は「キリ・マン・ジャロ」で3拍子ですよね。ところが、アフリカの発音では「キリマ・ンジャロ」で2拍子なんですよ。これがポリリズムなんですよ。根本的な要素としては、一つのフレーズがどっちにも取れるということなんです。なので、僕が興味のあるポリリズムは演奏が難しくてすごいというよりも、絡みが面白いという方向ですね。

(1)参考イメージ → M.C.Escher「Encounter 1944」


■他に面白い絡みの例はありますか?

[坪口昌恭] 大儀見(元)さんに教わったんですけど、「豆腐屋と相撲取り、銭湯のストライキ」というフレーズがあって、これは「とうふやと・すもうとり・せんとうの・すとらいき」っていう、それぞれが5文字(5連符)で構成されている4拍子、4分の4拍子なんですよ。それで今度は、「と」という文字に注目すると、「と」は4文字おきに5回出てくるんですよ。これは、4分の5拍子なんですね。この2つを行ったり来たりするアイデアを取り入れているのは、『AFRODITA』の5曲目「Tribal Junction」です。

ポリリズム


■それでスピード感が変わって聞こえるんですね。

[坪口昌恭] そうそう。そうやって遊んでるんですよ(笑)『AFRODITA』は「5」のアイデアが多いですね。


■面白いけど、テキストで説明するのは難しいですね。

[坪口昌恭] そうですね。わかんないままがいいんです。(笑)


[Interview:樋口亨]


東京ザヴィヌルバッハ『AFRODITA』発売記念ライブ

10月17日にアルバム『AFRODITA』をリリースした東京ザヴィヌルバッハの発売記念ライブ!
アルバムは坪口昌恭の完全ソロで作られましたが、この日は期待の若手ジャズマンたちとタッグを組んで、一夜限りのスペシャルなライブをお届けします。
ゲストには、9月にミックスアルバムを二枚同時にリリースした人気DJの大塚広子が登場!

<日時>
11月28日(水)
開場19:30 開演20:00

<会場>
新宿ピットイン

<料金>
3,000円(1ドリンク付き)

<出演>
東京ザヴィヌルバッハ
坪口昌恭 (key, effect, laptop)
類家心平 (tp, effect)
宮嶋洋輔 (gt)
織原良次 (b)
石若駿 (dr)

ゲスト 大塚広子 (DJ)


坪口昌恭
坪口昌恭

1964年福井県生まれ、大阪育ち。福井大学工学部卒業後1987年に上京。
ジャズとエレクトロニクスを共存させ、伝統と先鋭の境界線で独自のキャラクターを放つ。
主宰するエレクトロ・ジャズユニット『東京ザヴィヌルバッハ』(2012年8月にNY公演)、 キューバ勢ジャズメンとのNY録音作、ピアノトリオRemix、 ソロピアノ「Abyssinian...Solo Piano」等自己名義のアルバムを13枚発表。
2008年上妻宏光(三味線)のアルバムをプロデュース。2011年ハリウッド映画「Lily」の音楽担当。
近年はソロピアノや小編成でのセッションも活発化。
『菊地成孔Dub Septet』『DCPRG』『HOT HOUSE』の鍵盤奏者としても、 フジロックフェスティバルやBlueNote各店に出演するなど活躍中。音楽誌での連載や執筆多数。
尚美学園大学/同大学院ジャズ&コンテンポラリー分野准教授。


『AFRODITA』東京ザヴィヌルバッハ
AFRODITA

■タイトル:『AFRODITA』
■アーティスト:東京ザヴィヌルバッハ
■発売日:2012年10月17日
■レーベル:Airplane label
■カタログ番号:AP1048
■価格:2,300円(税込)

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